「豊かさ」の定義が個人に帰属する時代 | 坪井秀樹の起業実験日記 いくつになっても「理由なき反抗期」

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反抗しているんじゃない。反抗期が続いているだけなのさ。

街を歩くと、外気の冷たさに加えて、こんなイルミネーションに冬の到来を感じる


季節になってきましたね。


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最近は行ったこともないような地方に行く機会も多くなってきて、子供の頃から


慣れ親しんできたこういう風景も、独自性になっていることを肌で感じています。


自分の中では普遍的極まりない日常こそに、独自性のヒントになることがたくさんある


というのは確かに言えると思います。





今日は長年所属している経営者勉強会の同じクラスの集まりでした。


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昨日のエクスマ・セミナーでお話しをしながら・・・・・、


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今日も、お時間を頂いて皆さんの前でお話ししながら・・・・・・・、


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その「伝え方」は、スライドオンリーの時もあれば、動画やスライド・ホワイトボードに


手描きしながら、手法はスタイルによっていろいろとあります。


(ドレスコードがないなら、どっちも革ジャンというのは共通していますが(笑)。)



「何を伝えるのか?」と「どう伝えるのか?」の縦軸・横軸のマトリクスがあるとしたら、


前者は同じでも、後者の方法論は様々ですよね。



二つの講義でお話しさせて頂きながら、改めて思ったののは、


「人生の豊かさ」とか「人の幸せ」という定義が、極めて個人に帰属する時代に


なってきたのではないか?ということです。



私が青春時代を過ごした80年代当時は、「何をもってして成功なのか?」とか、


「どんな生き方が豊かなのか?」という概念の正解のようなものがありました。



よって、だからどうしろ、だからこうしなさい、という、方法論までもロックされていて、


それは例えば、勉強していい大学に入って、いい会社に就職するとか、就職すれば


会社ではどうあるべきかが出世や将来に大きく影響されてくるとか、


そういう人生の生き方すらも大体当たり前のように決められていたということです。



そして、その通りにやっていれば、文字通り「豊か」であるとか「幸せ」というものを


感じられる時代というのは確かにあったのだと思います。



少々の違和感を憶えながらも、深く考えなくとも、それに適合していけるかどうかが大事


だったような気がしています。



ビジネス環境もまた同じで、何をどうしたら売れるか?儲かるか?という正解みたいな


もんがあったから、その正解に向けて、大勢で一気にやり切れ、他よりもスピード優先で


やり切れ、ほら突っ込め突っ込め、あんたも皆もそら同じ、てな感じで良かったのだと


思います。



今思うと、ぞっとするような時代です。


だって、生まれてきた一人の人として、大して何も考えなくても、「豊だ」「幸せだ」と、


錯覚だか実感だか分からないけど、そう思いながら生きていけて、なんでこんなこと


やっているのか良く分からないけど、まぁそうなんだからしかたないか、それなりに楽しいから


まぁいいや、と言い聞かせながら毎日が過ぎて行って、そして死んで行く・・・・・・・


なんてような、本当に「人として生きていた」のかどうかが分からない?と思えるように、


今思うと思えるから(苦笑)。



私は、「どうせ死ぬのに、生まれてきたからには、何か意味があるはずだ。」と考えを


持っている方です。


だから、どっかの誰かが成立させた正解の通りやればいい、なんてのは、


やっぱりちよっと違和感を感じてしまうんですね。




それを思うと、やれ不景気だ、厳しい、不透明だ、不確実だ、などと言われている


今の時代だけど、それは視点を変えると、「自分はこれが豊かだと思います。」と


自由に発信したり宣言できたりする、極めて公平でまともな時代とも言えると思うのです。


不透明で不確実と言うことは、正解が誰も分からない、ということです。


未来の正解が、誰にでも分かっている時代というのは、そっちの方がまともじゃないでしょう?(笑)



いつの時代も変わらない原理原則、例えば「人は人の役に立ってなんぼ」


「全てのビジネスは価値と価値の交換である」というような根幹論は変わらないにせよ、


それを自分らしくどう実現していくか?という選択肢がたくさん


あって、それを自分の意志で決めていけるというのは、相当に「人間らしい」と言うか、


人としてまともな生き方なのだと思っています。



「豊かさ」の定義と言うのは、


例えば「3000憶の売上の会社の社長」でいることなのか、


「150年の歴史の暖簾を継承し続ける個店」でいることなのか、


「年収5000万」を実現することなのか、


「ボランティアで人から感謝される」ことなのか、


「誰の役に立っていたい」とか、「誰と一緒にやっていたい」とか、


「大勢でやりたい」のか、「個人でやりたい」のか、


そういう将来ありたい姿について、


誰かに決められていることなのか、自分で決めていることなのか、ということです。



私は、ほんなもんは自分で決めておきたい。




それをどう実現していくかのアプローチにしても、極めて「個人の豊かさ」から発想していくのも、


大きく「社会全体」から発想していくのも、それはどちらのアプローチが正解なんてのは、


誰もがやってみなくちゃ分からないということです。



私は、こんなに楽しくてドキドキしてしまう時代はないと本気で思っています(笑)。



自分の主張は自由に発信できるは、自分とは全く違うタイプの人から新たな視点やヒントを


授けられる、それによって変わることもあれば、より明確になっていくこともある。


いずれにせよ、「自分を知る」という永遠のテーマにおいては、なんて可能性が広がる時代


なんだろうと思うのです。



否定なんてなくて、オールOKなんて、それは、誰もがきっと楽しいじゃないですか(笑)。




人の前に立って何かを話したり伝えたりするのは、自分の考えを纏めたり、準備すること等、


事前に大変なことは付きまとうし、発信前はいつまで経っても極度の緊張に悩まされますが、


それ以上に、新たに自分が勝手に発見したり、気づいていくこともあったりして、


だから総論として、「皆様に感謝いたします。」という言葉になるのでしょうね。



真冬の冷たい空気と共に、昨日・今日とそんなことを感じながら・・・・・・・。


改めて感謝しています。




            個人の思想・主張において、こんなに自由な時代はない。


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