前のブログにも書きましたが、「人は見かけ」です。
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滅多にありませんでしたが、前職で、髪型や色、顔面のビアスの数や位置について
スタッフに注意することがありました。
「人を見かけで判断するんですか・・・?ホントいい奴なんですよ。」
と言うリーダーもいました。
そういう時、私は、
「私は、見かけで判断する。人は見かけで判断するんだよ。」
と言い切りました。
「もし、アルバイトの希望者が面談に来て、君が面接責任者の時に、
その子が、髪の毛はギトギトの7:3分けで、上着は詰襟の学生服で、
下はパンツ一丁で、質問しても、どもってシドロモドロで、目もうつろで
まともに相手の顔も合わせられない子だとしたら、採用するか?」
「・・・・・・しません。」
「見かけで判断するじゃないか。その子の本当のことを知らないのに
判断するじゃないか。人は見かけで判断するんだよ。」
とたたみ掛けました。
理屈もウンコもありません。ダメなもんはダメなのです。
「あの子は良くて、ボクはどうしてダメなんですか?」
と聞いてくる子もいました。
「あの子はいいけど、君はダメだ。」
と言い切りました。
「ルールはあるんですか?」
「ルールなんてない。あるとしたら、私の価値観だけだ。」
そう言い切りました。
「納得できない」としたら、一生、納得などしなければいいだけのことです。
私は、制服がガチガチに決まっていない以上、そうするしかないと思っています。
私自身は、自由な服装を標榜しているので、注意する時は、やや心苦しい想いも
ありました。
何を隠そう、私自身が好き勝手な格好して日常を生きたい訳ですから。
人は、自分の外見をとやかく言われると、不思議と人格や人間性まで否定
されているように思ってしまうものですし・・・・・。
個人の価値観を、私はとやかく言う気はありません。
プライベートで、自分の部屋で、好きな格好するのも、顔面に1万個ピアスを
つけるのも、タトゥーを入れるのも、どうぞご自由にとすら思っています。
ただ、客商売をしている以上、あまりに一般を逸脱した外見は止めました。
それは、明らかに私の価値観であり、私の基準です。
問題なのは、トップやリーダーが、自分の価値観や方針を明確に相手に
言わないことです。
あーだ、こーだと言う割には、自分の責任で決めないことにあります。
言えばいいのです。
「この俺様がルールなのだ。嫌ならいなくて良い。」と。
ちゃんと自分の許容範囲を、その都度伝えてあげないと、相手は分からない
のです。
逆に、メンバー側が、どうしても自分の意志を貫きたいのであれば、
そんな集団・組織はとっとと辞めて、受け入れてくれる環境にいけば
いいだけのことです。
価値観が多様化している時代というのは、そういう意味で良い時代だと思うのです。
ちゃんとその人のステージで活躍できる環境はあるはずです。
そこまで貫きたいことがあれば、世界は広いし、人は様々なのですから、
見つかるまで探すか、自分で立証しにいけばいいのです。
もし、私が、ヘビメタの専門店をやるとしたら、顔面ピアスは思い切り許すでしょう。
もし、コスプレの店をやるなら、ロリ系ファッションを男性スタッフがしていても
面白がると思います。
(どちらの店もやりませんが・・・・・・・(笑)。)
それでも、どうにもなrqいなら、相手の基準に合わせるしかありません。
何を優先するかくらいは、自分で決めればいいことなのです。
私の所属している経営者勉強会で、参加する時は、
黒か紺かグレーのビジネススーツ、ネクタイは蝶ネクタイじゃない普通ので、
黒の革靴・・・・・・等と、ドレスコードが明確に決まっているところがあります。
忙しくて時間がなくてスーツを着てこれなくて、作業着なんかで来た会員は帰されるか、
懲罰を受けるか、バツがすこぶる悪いか、そんな感じです。
好き・嫌いは別にして、一貫させているということでは、とても共感しています。
明確で明快です。
逆に言えば、カッコよく決まっていようが、ダハダバだろうが、シングルだろうが、
ダブルだろうが、ウールだろうが、コットンだろうが、80年代の肩パットバリバリだろうが、
モテスリムだろうが、自由の範囲が保障されていると言い方もできます。
私はスーツをいちいち着るのが毎度面倒だし、あんまり着ないスーツに
お金をかけるのももったいないし、毎回とてもイヤでしかたありませんが、
辞めるほどの意思決定までは至りません。
たまのスーツは、マックイーンになり切ってオシャレでもしようか、程度に
納得させています。
要するに、私は所属していることを、他の色んな理由の方を優先して、個人の
価値観との相違を甘んじて受け入れているだけのことです。
そういうのは、状況や、自分の価値観が変わることよっても優先順位は
コロコロと変わっていくわけですから、あまり意固地にコダワル必要なんて
ないんだと思っています。
変に、会社の犬になるのはイヤだの、私のポリシーがどうだの、所属していながらに
して、マジメ面して言うほどのことでもなくて、もっと大事なことの方に思考と時間を
かければよ良いと思うのです。
でも、しかし、「人は見かけ」です(苦笑)。
もう片方で、「人は見かけ」という現実があるのです。
ある心理学によると、人の印象というのは、
93%が、第一印象(表情・しぐさ・服装等)の非言語情報で決まるという
統計が出ているそうです。
話の内容は、7%だというのです。
よほど関係ができていれば、相手のことも理解するでしょうが、
ほとんどが非言語情報で決まってしまうという統計です。
鵜呑みにはしないけれど、遠からずだと私は思っています。
その人の「見かけ」というのは、(もっと狭く言うとファッションというのは)
その人を雄弁に物語ってしまうのです。
だから好きな格好するのは自由だろうけど、確実に自分という情報を出しているし、
それを判断するのは自分ではなく、相手であるというリスクを常に持っていると
認識しておくべきでしょう。
私は、いまだに親に「そんな格好して・・・・・。」とボヤかれるし、
子供には、「革ジャンとか、絵とか、字のついた服着て学校こなくていいからね。」
と言われます(笑)。
そしてそれは正しいのです(泣)。
評価は常に第三者であるということですね。
じゃあ、高額の服を着ていないといけないか、というとそうは思いません。
高額とか低価格という問題ではないと思っています。
私の基準は、自分が身に着けるモノを、自分が大切にしたいと思える
価格で買ったかどうかだと思っています。
一定期間(月とか年とか)のうちで自由に使えるお金の範囲で、
これだけ出したんだから、大切にしようと本人が思えるかどうかです。
1千万円持っている人の一万円のシャツと、千円しかない人の500円の
シャツは、その人にとって「大切度」が違うはずです。
私から見たら高額の服なのに、無造作だらしなく扱って、ゴミのように粗末に
する人もいるし、
とても安く買っているのに、大事に長く着て、とてもセンス溢れる素敵な人もいます。
それはきっと、大切にしたいと思える度合が違うんじゃないか、と思えるの
です。
人でも、花でも、モノでも、愛すれば、対象は輝きますもの。
大切に、大事にしていれば、着用するのにもきっと配慮するだろうし、
立ち振る舞いや、姿勢も変わるだろうし、言葉づかいも、付き合う人も変わってくる。
他人からどう見られているか、当然意識も高まるでしょう。
他人の目を意識しなくなったら、もう人生グダグダですよ、きっと・・・・・(笑)。
コミュニケーションをハナっから放棄していると言っても過言じやない。
失礼に近いとさえ思います。
「ファッションは相手のためにある。」
と言った方がいますが、それはある意味あっていると思うのです。
大の大人が、しかも男が、ファッションだなんだとチャラチャラするなと
言うかもしれませんが、私は、とても大切な要素だと思うのです。
TPOに合った、身の丈にあった、そしてその人らしくちゃんと表現される
「見かけ」になれば、とっても素敵ですよね。
私は、ずっと探究しているような気がします・・・・・・。
「人は見かけ」で決まると、私は信じているのですから・・・・・・。
中身は後からついてくるさ、きっと・・・・(苦笑)
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