「生まれきて 残れるものとて 石ばかり 我が身は消えし 昔なりけり」
四国遍路の大先達、中務(中司)茂兵衛(本名・亀吉)は、弘化2年(1845年)に周防国大島郡椋野村
(現・山口県周防大島町椋野)の庄屋、中司家の三男(或いは次男とも)として誕生。
故あって、慶応2年(1866年)に故郷を出奔し、伊予国の三津浜より四国に入ります。
その後は一度も故郷に帰ることなく、前人未到の280巡もの遍路行を続け、大正11年(1922年)に
香川県高松市、彼の信奉者である久保ちか子さん宅に於いて約60年にわたる遍路行を終えました。
享年78歳。(数え年)
彼の先にはもちろん、そして彼の後にも、彼以上の足跡を残す遍路はきっと出ないでしょう。
建立した道標石は230余基を数え、歩き遍路をされている方だけではなく、車で巡拝されて
いる方も目にされた事があろうかと思います。
香川県東かがわ市には、280巡目の途中で病に倒れた彼が、最後に建立した道標石2基が現存。
そのうちの1基が白鳥道の八丁坂下に残ります。
ここは阿讃国境(香川県東かがわ市・徳島県阿波市)の大楢・境目地区。
おそらく県道の拡幅工事に伴い、移設はされているものの、手印は各所を的確に指しています。
爲二百七十九度目巡拝記念 願主 中務茂兵衛義教
袖付きの浮き彫り手印の下には、八十八番奥の院與田寺 弘法大師御再来遺跡へ三里
白鳥神社へ四里の刻字。
隣の面には、袖付きの浮き彫り手印と 大くぼ寺へ一里餘 大正十年六月吉の刻字。
そして面白いのがこちら・・・
『巡拝大べんり』 (右から左へお読み下さい)
おそらく新道が出来て、古道を歩くより便利になったのでしょうね。
道の隆盛は今も昔も変わりなく・・・ と言ったところでしょうか?
傍らにある明治期の芸術的な道標石が、『巡拝大べんり』に霞んでしまいました。
さてさて、私はあと何巡この地に立てるのでしょうかねぇ?
『境目の大銀杏』さん!