恵比寿神社で潮の香りがした。
慣れ親しんだ瀬戸の海よりずっと鄙びた香りだった。
この沖泊港より銀の積出が始まった頃に鎮座したと地元の漁師は言う。
沖泊港は天然の良港。
16世紀後半頃、約40年間にわたり石見銀山(大森)への物資補給基地として、或いは銀の
積出港として重要な役割を担っていた。
リアス式海岸の特徴をよく表し、深く抉れた入り江を挟み、北側に櫛山(櫛島)城跡が残り、
南側に鵜丸城跡と砦跡が残る。
櫛山城は、戦国時代に毛利氏と中国地方の覇権を争った山陰の雄・尼子氏配下、温泉(ゆ)氏の居城。
鵜丸城は、尼子氏を破り石見銀山を支配した毛利氏が築いた城で、毛利水軍の拠点として
沖を行く船の監視場所であった。
沖泊の集落は、大森より続く石見銀山街道沿いに廃屋を含めて約20軒が軒を連ねており、
往時は物流の拠点として賑わった集落も、現在では野良猫と、羽を休める海鳥たちが主な
住人かも知れない。
帰港する漁船のエンジン音が辺りに響き、食餌にありつこうと野良猫と海鳥たちが慌ただしくなる。
風の影響を受ける事なく、静かに湛えたそのエメラルド色に吸い込まれそうになりながら磯伝いに歩く。
この辺りには幾度となく魚釣りでやって来た事がある。
記憶の深層にあった『鼻ぐり岩』は、釣り人には具合の良い椅子であった。
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どうです? 椅子にちょうど良いでしょう!
これは海に近すぎて危ないなぁ。
左側は身長の高い人向き・・・
右側は・・・・・・・・・・・ 痛い。
上からもご覧下さい!
この辺りは『福光石』の産出地として知られており、沖泊も火山灰が堆積した凝灰岩の地層。
軟質で加工が容易であったため、船舶の繋留用に多数の『鼻ぐり岩』が現存しており、
中には現役で活躍しているものも見られます。
往時は軍船に銀の積出船、北前船等が繋留され、物売りの声が賑やかだった事でしょう。
無論新しい『鼻ぐり岩』もありますが・・・
本来の『鼻ぐり岩』がこちらです。
縄を通せば、牛の鼻ぐり(鼻輪)に似ているでしょう!
この沖泊港の鼻ぐり岩群は港の右岸左岸ともに見られ、大変貴重な資料かと思います。
お越しの際にはしっかりした足元装備でどうぞ!
ではまた!