公共交通機関では不可能なルートで自転車ならではの”地元走り”で巡りたいと思いますので、他県から輪行、トランポで奈良に来られた方が限られた時間で『大和十三仏霊場巡り』をしてみたいという方の参考になればと幸いです。

 

 

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”40代から始める終活”の一環で実施している《ミニベロで行く》大和十三仏霊場巡り

 

第五番・矢田寺の参拝を終え、次は第十一番・信貴山玉蔵院に向かいます。

12.6km 徒歩だと3時間7分のようです。

 

 

 

県道9号奈良大和郡山斑鳩線を南西に進むと、法起寺(ほうきじ)三重塔が見えてきました。日本最古の三重塔は飛鳥時代706年(慶雲3年)建立で世界遺産に登録されています。

 

 

 

法起寺法隆寺を繋ぐ、世界遺産サイクリングロードを進みます。

 

 

 

すぐに世界遺産・法隆寺に到着。

飛鳥時代607年(推古15年)、推古天皇・聖徳太子の開基による日本最古の寺院で、左に見える五重塔は1300年前に建立された世界最古の木造建築とされています。

 

 

 

国道25号を横断し、斑鳩(いかるが)町内の抜け道を西に進み、竜田川に架かる岩瀬橋を渡ります。

 

 

 

再び国道25号に合流、日本一汚い川という汚名を持つ大和川の堤防を西に進みます。

日本一汚くなるのは、大阪湾に流れ出るときの水質なので、このあたりはまだ透き通っています。

 

 

 

信貴山のお膝元、近鉄生駒線・信貴山下駅(しぎさんしたえき)

 

 

 

改札南側には、かつて1922年(大正11年)から1983年(昭和58年)まで61年もの間運行されていた東信貴鋼索線(東信貴ケーブルカー)の車両・コ9型が安置されています。

 

 

 

信貴山下駅-信貴山駅の営業キロ:1.7km

勾配:最大217‰、平均125‰で運行されていた実際の車両を再塗装して展示されているのです。

 

 

 

実際に運行されていた画像を検索するとヒットしたのがこれ。

上下引き違い窓が採用されていたようです。現代でも車掌室は上下引き違い窓ですよね。

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※ 画像は、Wikipedia「近鉄東信貴鋼索線」より引用。

 

 

 

それでは、信貴山下駅前より北西に真っすぐ延びる東信貴ケーブルカー廃線跡を自転車ヒルクライムで上ります(;^_^A

勾配:最大217‰(1,000mで高低217m)、平均125‰とかなり激坂・・・

 

 

 

約1kmヒイヒイ言いながら上り切りました。

西和清陵高校の敷地で東信貴ケーブル廃線跡は一度寸断されましたが、千本桜並木道と名付けられたハイキングコースもまだ廃線跡が続いています。残り距離は750m。

 

 

 

ケーブルカー廃線跡なのになぜ下るのか?恐らく山を削ったのではなく地形からみて盛土か?

 

 
 
近鉄信貴山下駅よりアスファルト舗装路をヒルクライムして背中はびっちょり、額も汗ダラ、パンツまで・・・ですが、森林浴で汗も引き始めました。汗冷えに注意です。
 
 
 
時折デザインタイル舗装路もありますが、概ね未舗装路なのでトレッキングシューズの方が無難かもしれません。
 
 
 
茂った竹藪。
竹は1年で10mほど伸びると聞いたことがあるので、さほど年月は経過していないのかも。
 
 
 
ところどころにレールの枕木を再利用していると思われる木階段があります。
 
 
 
半分くらい上ると、森林がなくなり振り返ると鉄塔が見えました。
どこからどこへ送電されているのでしょうか?
 
 
 
東信貴ケーブルの遺構である橋梁が見えてきました。
 
 
 
この橋梁の右側は、ハニカムメッシュの検査路が遺構として残されているのが鉄道ファンとしては嬉しいですね。
 
 
 
目の前にようやく光が見えてきました。ゴールも近い。
 
 
 
車止めアーチポールで廃線跡ハイキングコースはゴールとなります。

 

 

 

東信貴ケーブルカー信貴山駅跡

現在建屋は奈良交通・信貴山停留所に流用されています。

 

 

 

寂れた元駅舎ですが、取り壊さず廃線跡遺構としてバス停留所に再利用されているのも良い試みだと思います。

 

 

 

ふと壁を見上げてみると恐らく廃線当時1983年(昭和58年)以前よりあったのであろう近鉄沿線マップ。

 

 

 

望遠で見てみると、信貴山下駅よりここ信貴山駅(←リンク先Googleマップ)までの沿線が消されているようです。

 

 

 

信貴山駅跡(現信貴山停留所)を後にして、門前町らしい参道を進んで行くと右手に、千体地蔵

縦20段×横50列以上だったので単純計算で1,000体以上あることがわかります。

 

 

 

 

 

第十一番 信貴山 

信貴山玉蔵院(平群町)

阿閦如来  -あしゅくにょらい-

 

 

生駒郡平群町信貴山2280 <Google MAP>

公式HP: http://www.gyokuzo.com

 

 

飛鳥時代587年(用明天皇2年)創建、聖徳太子開基と伝わる。

ずべきぶべき山」と意味合いで「信貴山」としたのだそう。

平安時代910年(延喜10年)命蓮僧により伽藍が整備され、醍醐天皇により現在の信貴山朝護孫子寺(しぎさんちょうごそんしじ)と名付けられた。

戦国時代1577年(天正5年)信貴山城の戦い(織田信長VS松永久秀/信貴山城主)の戦火で全焼、しかし江戸初期1602年(慶長7年)に豊臣秀頼(秀吉三男)が本堂を再建した。

 

 

 

江戸後期1760年(宝暦10年)再建、1881年(明治14年)大修理、1922年(大正11年)移転された仁王門

 

 

 

左の仁王様、阿形なので口は「あ」

 

 

 

吽形は口が「ん」。鋭い眼光であらゆる厄災を祓ってくれるのが伝わってきます。

 

 

 

仁王門を潜り仁王様の背面両側には、一対の狛犬。

月に向かって遠吠えしているのでしょうか?

見上げるタイプの狛犬は初めて見たかもしれません。

 

 

 

現在地は、右下の仁王門より入山しました。

境内図をご覧の通り、山全体が境内となっていてかなり広大な面積となっています。

※ 画像は、信貴山朝護孫子寺公式HPより引用。

 

 

 

新緑が美しい参拝道を進みます。

 

 

 

仁王門より100mほど進み右手に、猪上神社(いがみじんじゃ)

霊峰信貴山を拝んだ「オガミ神社」が、後に呼び方が変わって猪上神社となったという言い伝えがあるのだそう。

主祭神「天足彦命」「国押人命」を祀っています。

 

 

 

「にゃ~ん」と甲高い鳴き声はメス猫か?山梨の同業・Jin先生だったら声帯で雄雌の判別ができるのでしょう(笑)

人間を怖がることもなく散歩されていました。

 

 

 

灯籠が立ち並ぶ参道を右カーブを描きながら進んで行きます。

 

 

 

右手に納経所

自販機や椅子机などもあり、休憩所として利用する場所のよう。

 

 

 

神仏習合の証、明神鳥居を潜ります。

 

 

 

右手に、虎の石像がお出迎え。さしずめホワイトタイガーといったところでしょうか。

この信貴山朝護孫子寺は、「寅の年、寅の日、寅の刻」に創建されたという故事にあります。

これより至るところに虎のオブジェやモニュメントが現れるので、主だった一部のみご紹介したいと思います。

 

 

 

高さ3m、長さ6m巨大な「世界一福寅」

阪神タイガースの聖地とも言われる由縁はこの張り子の虎。

これを見て必勝祈願に訪れる阪神ファンが後を絶たないとか。

 

 

 

すぐ左横にも小虎の張り子が歓迎してくれます。

「ようお詣り♪」

 

 

 

1793年(寛政5年)再建、赤門を潜ります。

広い境内、まだ全体の1/10程度しか辿れていません。

 

 

 

すぐに三差路となり、今回は時計回りに参拝しようと思うので左に進みました。

 

 

 

開祖の聖徳太子御像

太子の愛馬は黒駒のはずですが、セカンドカー(馬?)は白馬か!?

 

 

 

樹齢1500年のかやの木を祀るかやの木稲荷大明神

信貴山朝護孫子寺は、587年創建なので創建前より存在していることになります。

もしかするとこの地に開基するきっかけとなった木なのかもしれません。

 

 

 

榧の木稲荷大明神専用の手水舎は、稲荷狐の口から水ができるようです。

キツネ様の顔だけだと失礼ですがちょっと不気味(;゚Д゚)

 

 

 

すぐ横の本坊玄関口にもリアルな虎の置物が飾られています。

 

 

 

石橋を渡り正面に、成福院(じょうふくいん)

塔頭で宿坊も営んでおられます。

「融通がきく」の由来である「如意融通尊」を祀っています。

 

 

 

立派な祠には、木製の大黒天様

 

 

 

手前に「打ち出の小槌」ならぬ金の「撫で小槌」

願いを込めて両手で撫でると願いが叶うのだそう。

 

 

 

幼少期の七福神!?「わらべ七福神」石像

なんか可愛いですね♪

 

 

 

寅大師と撫で寅

詳細はよくわかりませんでしたが、恐らく架空の僧ではないでしょうか?

 

 

 

合格地蔵が唱える座右の銘は、「よく見る・よく問う・よく聞く」

我が家の三男坊は今年高校受験なので、合格祈願させていただきました。

 

 

 

左隣に、玉蔵院(ぎょくぞういん)の社務所

塔頭で宿坊も営んでおられます。

 

 

 

すぐ左手に、玉蔵院浴油堂(よくゆどう)

毎朝3時30分より真言密教浴油法による「浴油祈祷」が行われているのだそう。

それにしても3:30ってまだ夜中(;^_^A

 

 

順路的には、このまま玉蔵院の御堂、三重塔に進むべきなのでしょうけど、開山堂への参拝道がすぐ左にあるので向かいます。

 

 

1m幅ほどの砂利参道を進んで行くと、1722年(享保17年)建立、「聖徳太子」と書かれた扁額の開山堂

その名の通り信貴山を開山した聖徳太子、宗祖弘法大師、そして伽藍を整備した命蓮僧を祀っています。

信貴山朝護孫子寺に来たならば、必ず参拝して欲しいのは開山堂といって過言ではないでしょう。

 

 

 

一本の巨木から彫り出された御本尊は、四面(約22面×四面)に四国八十八ヶ所の御本尊、そして、各四面中央に、聖徳太子、弘法大師、歓算僧、命蓮僧を祀っています。

天井までそびえるこの曼荼羅は圧巻で、ぜひとも肉眼で見ていただきたいと思います。

 

 

 

白のローソク:息災(除災招福、当病平癒、交通安全)

黄のローソク:増益(開運招福、学業成就、商売繁盛)

水面にひっくり返さないように浮かべてから着火するのがインドの作法なのだそう。

 

 

 

四国八十八札所霊場のお砂が埋められているお砂踏み。

堂内グルっと一周でお遍路さんができます。いつかは現地を巡りたいと思っています。

 

 

 

開山堂の案内をしてくださったおばさまのマシンガントークで知らない間に結構時間を要しましたが、すぐ近くにある命蓮塚で手を合わせて欲しいという懇願を受けやってきました。

中興の祖・命蓮のお墓です。

 

 

開山堂でかなりご丁寧にご説明いただき予想以上に時間を取ったので、先を急ぐことにします。

 

 

見晴らしの良い高台まで上がってきました。

奥に奈良盆地東麓、手前の建物が本堂となります。

 

 

 

玉蔵院大地蔵尊

高さ14.6m、日本一の大きさを誇る地蔵尊。

 

 

 

玉蔵院霊明殿(三重塔)

大和十三仏の御本尊「阿閦如来」を祀っています。

 

 

 

すぐ右隣に、玉蔵院融通堂

鎌倉時代、覚鑁(かくばん)僧より、毘沙門天の摩訶不思議な玉「如意宝珠」を授けられたことから『玉蔵院』と呼ばれるようになったのだそうです。

 

 

 

1689年(元禄2年)建立、多宝塔

本尊「大日如来」を祀っています。

 

 

この多宝塔よりさらに上がり標高437mに空鉢護法堂 (くうはつごほうどう)信貴山城跡があるのですが、所要時間往復40、50分と時間に余裕がなく見送ることにしました。

 

 

5代将軍綱吉の生母・桂昌院の寄進により、1701年(元禄14年)建立の虚空蔵堂

「虚空蔵菩薩」を祀っています。

 

 

 

太いお線香をよく見ると、「学業向上・合格祈願」と書かれてあります。

 

 

 

蓮造形の手水舎

本堂を目前にもう一度手を清めていくことにします。


 

 

 

本堂

七福神の「毘沙門天」を祀っています。

 

 

 

 

 

 

目下に王寺町、奥に我が地元・天理市、遠景に奈良盆地東麓が眺望できます。

 

 

 

 

 

撫でられ過ぎて一皮むけてしまった賓頭盧尊者

 

 

 

三宝荒神堂

 

 

 

本尊「不動明王」を祀っています。

 

 

 

金と銀の虎

よーく見てみると、金虎は「阿形」、銀虎は「吽形」のようです。

右奥に三福神堂、「弁財天」「大黒天」「恵美酒太神」を祀っています。

 

 

 

「ガオーーー」と大きな口を開けたアトラクション!?は、「三寅の胎内くぐり」

 

 

 

胎内には、絵馬や有難いお言葉が貼られていました。

 

 

 

グルっと一周して最後に塔首の千手院

銭亀堂、毘沙門天王、子安観音等が祀られています

 

 

 

無料配布でいただいている『大和十三佛守護屏風』に、十一番・信貴山玉蔵院の御朱印を授かりました。

 

 

 

 

1931年(昭和6年)竣工、開運橋

 

 

 

開運バンジー

 

奥に見えるのは、県道236号信貴山線の車道でもある信貴大橋、下に見えるのが大門池

 

 

 

 

第十一番・信貴山玉蔵院の参拝を終え、次は第六番・當麻寺中之坊に向かいます。

13.6km 徒歩だと3時間14分のようです。

ちょっと時間を押してきているので急がなくちゃ(;^_^A

 

 

 

次回、

大和十三仏霊場巡り

第六番

當麻寺中之坊

続く。。。