公共交通機関では不可能なルートで自転車ならではの”地元走り”で巡りたいと思いますので、他県から輪行、トランポで奈良に来られた方が限られた時間で『大和十三仏霊場巡り』をしてみたいという方の参考になれば幸いです。

 

 

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”40代から始める終活”の一環で実施している《ミニベロで行く》大和十三仏霊場巡り

 

第八番・おふさ観音の参拝を終え、次は第三番・安倍文殊院に向かいます。

5.3km 徒歩だと1時間15分のようです。

 

 

 

上のGoogleマップでもわかるように、東西真っすぐな直線道路を東に進んでいくと、

飛鳥後期の首都・藤原京跡

 

 

710年(和銅3年)平城京に遷都されるまでの694年(持統天皇8年)から16年間都がおかれた跡地です。

日本初の都である藤原京は、中国唐の条坊制に基づいて碁盤目状の道路で区画されていたわけですが、1,300年以上経った現在においてもこの辺りの道路は碁盤目状となっています。

 

 

右手、南東方面には大和三山の一座香具山(標高152m)

 

 

 

左手、北に同じく大和三山の一座耳成山(みみなしやま/標高139m)

 

 

西の畝傍山(標高199m)を撮影するのを失念してしまいましたが、このあたりが大和三山のデルタ中心となっているのです。

そんな地形に藤原京が建設されたの納得できますね。

 

 

畑一面のレンゲ畑がピンクの絨毯を演出してくれていました。

春のサイクリングはあちこち目移りしてしまって、なかなか先に進めません(;^_^A

 

 

木材の香りが漂う安倍木材団地を抜けると、安倍文殊院に到着です。

 

 

 

第三番 安倍山 

安倍文殊院(桜井市)

文殊菩薩 -もんじゅぼさつ-

 

 

桜井市阿部645  <Google MAP>

公式HP: https://www.abemonjuin.or.jp

 

 

645年(皇極天皇4年/大化元年)左大臣であった安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)によって大化の改新後に開基された。

「あべのもんじゅさん」として親しまれ、切戸文殊(京都府宮津市)・亀岡文殊(山形県高畠町)とともに、日本三文殊のひとつに数えらていて「三人寄れば文殊の智恵」ということわざの由来となっています。

 

 

境内のご案内と境内施設のご紹介 | 安倍文殊院

※ 画像は、安倍文殊院公式HPより引用。

 

 

 

朱色の柱が美しい表山門

左に「下馬」、右に「日本三文殊第一霊場 安倍文殊院」と刻まれている石標が立っています。

 

 

 

ブログUPにタイムラグがあり失礼しますが、桜散り始めといったところでした。

等間隔に陳列された石灯籠は比較的新しく、奉納者の住所氏名が刻まれているのですが、全国各地より信仰されているのがわかります。

 

 

 

右手に、金閣浮御堂

寺宝を保存し祀られています。こちらは別途拝観料が必要。

大人(中学生以上) 700円、小学生 500円

>納められている寺宝 (リンク先:安倍文殊院公式HP)

 

 

 

 

 

人感センサー式の手水舎

コロナ禍以降人感センサー式が増えたように思います。

 

 

 

1665年(寛文5年)再建された本堂

渡海文殊群像、騎獅文殊菩薩像、善財童子像など数々の国宝を祀っています。

>納められている寺宝 (リンク先:安倍文殊院公式HP)

 

 

 

1797年(寛政10年)建立、「右 はせ いせ 左 たへま大坂 道」 「右 あべ山 をか寺 みち」と刻まれた道標。解読するのが好きなんですよね(≧▽≦)

 

 

 

撫で仏の賓頭盧(びんづる)僧

眼球の鋭さの前では邪念さえ消してくれそう。

 

 

 

本堂右手に鐘楼

江戸初期1643年(寛永20年)鋳造の梵鐘

 

 

 

西古墳

創建者・安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)が眠るとされています。

 

 

 

小高い丘の上に稲荷神社

江戸時代までは前述した西古墳の頂上に鎮座されていたようですが、現在地に移設されたようです。

 

 

 

1987年(昭和62年)建立、不動堂

昭和末期の新しいお堂には、「不動明王」が祀られているのだそうです。

 

 

 

1982年(昭和57年)建立、十一面観音

頭上に十一のお顔があり、全方向を見守ってくださるのだとか。

 

 

 

白山神社本殿(重文)

唐破風の社殿が美しい。神仏習合鎮守社として室町時代に建てられたのだそう。

 

 

 

弘法大師像と背後に石仏群

 

 

 

合格門を潜り、小高い丘の石段を上っていきます。

パワースポット〟と ~歴史ゆかりの地~ を訪ねる | SSブログ

 

 

 

安倍文殊院といえば、花で作った大絵馬アート

約8,000株のパンジーで今年の干支・辰が描かれています。

 

 

 

清明堂

2004年(平成16年)安倍晴明千年忌を記念して再建。

平安後期の陰陽師であった安倍晴明は、この地で天文観測を行ったのだそうです。

 

 

 

「如意宝珠」と呼ばれる黒い珠

方位災難除けのご利益を撫でて祈願するようです。

 

 

 

アメリカの美術史家、ラングドン・ウォーナー(1881年-1955年/74歳没)の五輪塔

 

 

 

 

神仏内にアメリカ人を供養する五輪塔を建立しているのは不思議に感じますが、私が知る限り法隆寺(生駒郡斑鳩町)にもウォーナー塔があったと思います。

 

上記案内書きを要約すると、第二次世界大戦においてウォーナーリスト(空爆すべきでない地名のリスト)を米政府に進言したことで、京都・奈良の文化遺産は守られた。

特に、京都は原爆投下の最有力都市であったがポツダム会談において「京都は日本文化の象徴」と主張し回避できたのだそうです。

【諸説あり】

 

 

 

第三番札所・安倍文殊院「文殊菩薩」の御朱印を授かりました。

 

 

 

第三番・安倍文殊院の参拝を終え、次は第四番・長岳寺に向かいます。

7.6km 徒歩だと1時間47分のようです。

 

 

次回、

大和十三仏霊場巡り

第四番

長岳寺

続く。。。