前回 【3日目-②】
鳴海宿~池鯉鮒宿
池鯉鮒宿を後にして、国道1号・御林交差点は横断歩道がなく地下道をくぐり、国道1号を左斜めに並走する松並木通りに入ります。
松並木の日陰の恩恵を受けて岡崎宿を目指します。
馬市之址碑
池鯉鮒宿では,4月末から5月初めに馬の競り市が行われていたこともあり、廣重画『首夏馬市』の題名にもなっているのです。
「旧東海道三拾九番目之宿 池鯉鮒」「江戸日本橋八拾四里拾七町」「京都三条四拾壱里」と刻まれた新しい石碑
江戸日本橋まで84里(約336m)、京都三条大橋から41里(164km)
おおよそ1/3走破です。
国道419号の新田北交差点の信号を渡り、しばらく道なりに進んで行くと、
右手に来迎寺一里塚(84里)
手前が北塚、奥が南塚、両塚カメラフレーム入るように撮影しました。
両塚とも完全に現存されているのは非常に貴重です。
猿渡川に架かる猿渡橋を渡ると、知立市より安城市に入りました。
地図左上 現在地 安城市今本町
左に1914年(大正3年)建立、比較的新しい常夜燈と横にかなり小さな石鳥居、奥に祠があります。私はミニマリストなのでこういうの好きなのです。
石田川に架かる石田橋を渡り、県道288号・明治川神社前交差点を過ぎ左に、
永安寺
境内左の素晴らしい松は、樹齢350年以上の「雲竜の松」と言います。
樹形がたなびく雲のようであり、臥せる竜のようでもあるため、名付けられたのだそうです。
松並木を進みます。
安城市は指定宿場町には選定されていませんが、東海道沿いにところどころ松並木が残っています。松並木の下は、少し涼しさを感じられます。
時刻 8:00(出発して3時間)
サイコン距離 31.6km
国道1号・尾崎東交差点で合流して、約3km国道1号重複区間を進みます。
「331.8km」という距離程(キロポスト)は、東京日本橋からの距離になります。
旧東海道は概ね国道1号に並走しているので、まだ残り300km以上はあるというわけです。
途中で、安城市より岡崎市に入り、交通量が一気に増えました。
途中で鹿乗川(かのりがわ)に架かる鹿乗橋を渡り、安城街道入口交差点より左斜めに進みます。
矢作川にあたり堤防沿いを右に進むと、左手に出合乃像
幼少期の豊臣秀吉(日吉丸)が、蜂須賀小六(のちに秀吉の家臣・蜂須賀正勝)に出会った場所だそう。
実際には、矢作橋は架かっていなかった時代背景なので、徒歩(かち)渡しで出会ったとするのが正しいのかもしれません。
すぐ横に「明治天皇御駐駐蹕之所」と刻まれた石碑と1902年(明治35年)の旧矢作橋親柱
矢作川に架かる矢作橋(国道1号)を渡ると、岡崎宿に入りました。
岡崎宿の町並みの長さは36町51間(約4km)と非常に長く、しかも「二十七曲り」と複雑なのです。
38番目
岡崎宿『矢矧之橋』
三条大橋より178.7km/日本橋まで316.8km
※ 画像は、アダチ版画さんより引用。
廣重画『矢矧之橋』に描かれているのは、今渡った矢作橋より200mほど南に架かっていたようで、右上に見える岡崎城の位置もほぼ間違いないかと思われます。
本陣 3、脇本陣 3、 旅籠 112 とかなり大きな宿場町であったようです。
現に今でも愛知県のほぼ中央に位置し、人口は名古屋市、豊田市に次いで第3位、。
歴史的には、家康の生誕地であり、居城の岡崎城を中心に城下町として発展、家康の江戸入りの後に岡崎城城主となった秀吉家臣・田中吉政が、くねくねとした屈折の多い「二十七曲り」の道路改革を行いました。
これは城下防衛とともに、街道筋に店舗を並べて旅人たちにとどまらせる経済効果を狙った道として作られたそうです。
国道1号より南下して下っていくと、左手に
「右 西京」「左 江戸」と刻まれた石碑。
石碑を左折するとカラーアスファルトに切り替わり、旧家もあり歴史街道らしさを感じられます。
名古屋メシといえば「八丁味噌」を使った味噌カツや味噌煮込みうどんなどが有名ですが、八丁味噌の本場は岡崎市なんですよね。
岡崎城から西へ八丁(約870m)の距離にある八丁村で作られたことで名付けられた地名由来のお味噌なのです。
すぐ近くに岡崎城があるので、見学はしませんが外観のみ見て行くことにします。
旧東海道に戻り、八帖村の町標から岡崎名物二十七曲がりを進みます。
この東海道五十三次自転車旅には、事前にプリントアウトした地図に主要な交差点や道路、観光地などを記載しているのですが、岡崎二十七曲がりについてはあまりにも細かすぎるので、オフラインでも使えるGPSアプリ『スーパー地形』を見ながら進むことにします。
二十七曲がりの交点には、このような道標が配置されています。
しかし見落としてしまいます( ̄▽ ̄;)
ここは左折して国道1号を歩道橋で渡るようです。
歩道橋上より国道1号を眺めます。
この辺りは右左折分離になっているようです。青い車線は右折専用レーンなのでしょう。
伊賀川に架かる三清橋を渡ります。左に見えるのは岡崎図書館です。
田町角を左折
難しい交差点では、案内地図が設置されているのですが、見落とししまうのです(;^_^A
あぁ~目が回る(◎_◎;)
一筋曲がるところを間違えて、この「札幌かに本家」店舗で間違いに気づき戻りました。
大阪「かに道楽」に酷似していて驚きました。
「岡崎城下町二十七曲がり連尺通り」とレンガ敷きされています。
冠木門に立つ弥次喜多さんのイラストが可愛い(*^▽^*)
家康の生誕地・岡崎市では、NHK大河ドラマ『どうする家康』のプチフィーバーが起こっているようです。二十七曲りを進んでいるとあちらこちらに家康(松潤)ファン?の若い女子群を見かけました。
実は池鯉鮒宿あたりより『どうする家康』のPRイベントやポスターなどが増え始め、さすが三河国に入ると家康公のお膝元なのだと感じ始めたのですが、岡崎市は生まれ故郷ですものね。
来年2024年1月8日までの期間、岡崎市美術博物館内「大河ドラマ館」で特別展が開催されています。
時刻 9:00(出発より4時間)
サイコン距離 40.8km
1798年(寛政10年)建立、籠田総門角常夜燈
岡崎空襲の災禍を免れ、当時のまま残されています。
1890年(明治23年)築造、旧岡崎銀行本店は、現在岡崎信用金庫資料館になっているようですが、洋館造りの近代遺構も見ているだけで美しい建造物です。
伝馬通りを東に進んでいると、東海道にちなんだ石像があちらこちらに設置されています。
東海道が愛されていることがわかります。
中町4丁目交差点を右折、少し下っていくと左手に
冠木門(かぶきもん) もちろんレプリカ
この冠木門が岡崎宿東口(江戸口)だったようです。
宿場町の防衛と街道筋の伸長のためにわざわざ曲がりくねった二十七曲がりを発案されたのですが、自転車で走行していても都度ストップ・アンド・ゴーの連続で足止めをくらうのが身体で感じられました。当時の旅人も同じだったのではないかと思います。
38番目岡崎宿を後にして、次は1里25町(6.7km)先の37番目藤川宿に向かいます。
次回、
【3日目-④】
に続く。