最近の趣味は歴史街道巡りで、当ブログでもたまに紹介させていただいています。

 

古都・奈良住みなので、歴史街道、神社・寺院に恵まれている環境が幸いしています。

 

 

さて、寺社巡りをされている方とブロ友で繋がっているので、各地の寺社の詳細などを拝見させていただいているのですが、一つ私には理解できないことがあります。

 

 

 

それは、

 

 

御朱印集め

 

 

 

「御朱印ガール」という言葉もあるようで、アートな御朱印が女性の心を掴んでいるのかもしれません。

 

統計などは調べていませんが、「御朱印ガール」のマストツールである”御朱印帳”のデザインが豊富なのもブームに一役かっているのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私にとって「御朱印」といえば、高校1年の頃の思い出に遡ります。

 

 

祖母が亡くなる1年前、祖父と二人で西国三十三所霊場第11番札所 深雪山 上醍醐 准胝堂に行きました。

奈良師範学校(現奈良教育大学)を出て、小学校教員となり校長まで歴任した祖父は、風呂上りでも一度スーツに着替える(寝る直前に寝巻になる)ほど堅物な人で、親戚一同にも威厳があり首長となる人でした。

 

 

祖母の余命を悟ったのかどうかはわかりませんが、とある日に古びた御朱印帳の空白になっている1ページを見せてくれました。それが先ほど言った京都市伏見区上醍醐寺でした。

 

 

祖父 「もっと若い頃に上醍醐に参っといたら良かった・・・」

 

 

生真面目で弱音を吐くのを今まで耳にしたことがなかった祖父のその言葉に

 

 

高1の私 「オレ一緒に行くわ!」

 

 

と答えました。

 

 

当時高校1年柔道部だった私は、体力に人一倍自信があり、上醍醐寺が難所なのかどうかもわかりませんが、よほど悔いが残っている様子だったこともあり同行することにしたのです。

それが、祖父母っ子だった私の最後の”祖父母孝行”になろうとはその時知る由もありませんでした。

 

どんなルートを辿って上醍醐寺にお詣りしたのかはほとんど記憶に残っていませんが、山道の途中で祖父が歩けなくなり、そこからおんぶして参拝を済ませ御朱印をいただき下山、最寄りのバス停までもおんぶしたという記憶が残っています。

当時の老人では珍しく身長180cm越え、体重は今思うと70kg前後だったのではないかと想像します。

 

 

 

ブログを書くにあたり上醍醐寺までのルート検索をしていると、

2008年8月24日未明の落雷によって焼失全焼とありました。

いまだ再建のめどが立っておらず当面は下醍醐寺で御朱印をいただけるとのことです。

 

 

仕方がないので上醍醐寺跡地までのルートを検索してみました。

地下鉄東西線・醍醐駅より片道5kmでおおよそ2時間半のようですが、当時地下鉄東西線はまだ開通していなかったのでJR六地蔵駅を利用したのだろうと思います。

往復10kmの内、どれくらい祖父をおんぶしたのかは記憶が定かではないですが、苦行であったことは間違いありません。

 

 

 

それから1年後、高校2年の夏に祖母が亡くなり、翌年祖父も亡くなりました。

もちろん西国三十三所霊場全て集まった御朱印帳を棺の中に納めさせていただきました。

 

「死ぬまでにやっておきたいこと」を達成したことで死期を早めたのだとしたら申し訳ないですが、きっと満足して旅だったのだと信じています。

 

 

少々長くなってきたので纏めますが、そんなこともあって御朱印帳とは”極楽浄土へのパスポート”という認識を持っていたので、まだ自分には早いと思っていました。

しかし、2022年夏に心筋梗塞を患ってから”余命について考える”ようになったのがきっかけとしてまずは御朱印帳を作ろうかと思います。

 

 

次回、

【40代終活】自作 御朱印帳

に続く。