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天理教教祖誕生殿を後にして、ミニベロに乗って伊勢本街道・上街道を南下していきます。
 
 

 

 

 

 

大和神社(おおやまとじんじゃ)を過ぎ、上街道県道51号天理環状線が交差する場所に、

1837年(天保8年)建立の「太神宮・天満宮」と刻まれた常夜燈と

1694年(元禄7年)建立の「釜口山長岳寺此是東五町」と刻まれた道標が建っています。

奥に見えるのは、長岳寺五智堂

 

 

太神宮(だいじんぐう)の文字は、お伊勢詣りに繋がる街道沿いによく見られます。

そして、山号:釜口山(かまのくちさん)長岳寺(ちょうがくじ)は、ここより5丁(545m)東にあります。

 

 

 

長岳寺飛び地境内にある五智堂。

その形から傘堂、あるいはどこから見ても正面なので眞面堂とも呼ばれ、真ん中に太い心柱があります。

そういえば二上山麓にあった傘堂と非常に形が似ています。

 

 

 

 

 

鎌倉時代末期に善無畏(ぜんむい)三蔵という人が創建したと伝えられている。

それにしても軒下のものすごい数の垂木が重量感を感じさせます。

 

 

 

心柱上部に四佛の梵字額が描かれています。

左:釈迦如来、右:無量寿如来

 

 

 

左:宝生如来、右:阿悶如来

 

 

 

 

 

長岳寺五智堂より伊勢本街道を400mほど南下して到着した先は、

黒塚古墳

古墳時代3世紀後半の造営と推測されている前方後円墳です。

 

 

 

埋葬者は不明とのことですが、すぐ近くに10代崇神天皇陵があることより、崇神天皇皇后である御真津比売(みまつひめ)が有力視されています。

 

 

 

前方後円墳の前方部の木製階段よりお邪魔します。

 

 

 

三基の石碑。

1823年(文政6年)五穀豊穣を祈願して、この地の農民が建てたものだそうです。

 

 

 

 

 

周濠に囲まれた前方後円墳であることがわかります。

 

 

 

周濠沿いの遊歩道を後円部に向かって進んで行きます。

 

 

 

後円部の大きさは、直径72m、隆起11m。

前方部と後円部の落差が大きいです。

 

 

 

後円部の頂上には、遺跡発掘跡に柵がされていました。

のちほど黒塚古墳展示館にて教わった詳細を書きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

後円部は小高い丘なので、少しだけ見晴らしが良いです。

南西方向に大和三山の一つ耳成山(標高140m)、奥には金剛山(標高1125m)が見えています。

 

 

 

東には、天理市最高峰の龍王山(標高586m)。

 

 

 

後円部より下っていくと、周濠の途切れた箇所に盛土があり橋の役目を果たしているようで渡っていきます。

 

 

 

史跡 黒塚古墳と刻まれた石碑が置かれていました。

 

 

 

小さなお子さん向けの公園。

まだ比較的新しい感じがします。

 

 

 

公園の横に、黒塚古墳展示館があるので見学していくことに。

無料なのがありがたい(≧▽≦)

 

 

 

黒塚古墳といえば、33面の三角縁神獣鏡が出土したことで有名になりました。

 

 

展示館中央に、発掘した出土状況の竪穴式石室実物大模型が展示されているのですが、33面の三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)は綺麗に並べられた状態であったそうです。

 

 

 

この三角縁神獣鏡は、中国「魏」より贈答されたことがわかっており、これにより邪馬台国畿内説の確率が高くなったのだそうです。

 

 

 

三角縁神獣鏡以外に出土されたものは、画文帯神獣鏡1面、鉄製刀剣類などで、埴輪や葺石はなかったことにより、古墳時代前期であると考えられます。

 

 

 

 

 

航空写真を見ると、模範的な前方後円墳であることがわかります。

ちなみにこの近くの箸墓古墳と比較すると、1/3くらい小さい古墳なので、天皇級の古墳ではなく皇后もしくは豪族の埋葬であるのではないかと思います。

 

 

 

ミニチュア模型も展示されていました。

こういう展示は非常にわかりやすくて好きです。

 

 

 

最後に、南側より黒塚古墳の全貌を撮影して後にしました。

 

 

ミニベロで行く! 伊勢本街道・上街道の歴史スポットの旅はまだ続きます。

 

お付き合いのほどよろしくお願いします。