名古屋市積み、福岡県大牟田市に行って来ました。
その名は、
恋木神社
私は、「恋」より「愛」の方が好きなのですが、「恋」も嫌いではありません。
「恋」という漢字、下心なんですよね。
ちなみに、私が小学校5年の頃、初恋の子の名前は、「愛(あい)ちゃん」でした(笑)
当時、故・田村正和主演のTBS系列『パパはニュースキャスター』というドラマが放送されていました。
ニュースキャスター役の田村正和の名セリフに、
「そろそろ身を固めようと思っている。
娘が出来たら名前は決めてある、
「愛情の『愛』と書いて『めぐみ』、愛に恵まれるように」
生き別れだと思い込んでいた三人の娘(めぐみ)と再会をして繰り広げられるコメディタッチのドラマでした。
※画像は、TBSのHPより引用
田村正和の右にいる大塚ちかさん(役名は、大塚愛)が、自身の初恋の子に似ていたこともあり疑似恋愛した気持ちでしたwww
田村正和も昨年亡くなられ、追悼の意を込め、『パパはニュースキャスター』や『古畑任三郎』を観なおしてみようかな。
さて、話を戻します。
福岡県筑後市、国道209号線を走行中に目に入った恋木神社(こいのきじんじゃ)は、水田天満宮(みずたてんまんぐう)の末社として境内の奥に鎮座されています。
水田天満宮は太宰府天満宮に次ぐ九州二大天満宮です。菅原道真公の御霊魂が祀られています。
まずは、水田天満宮の一ノ鳥居を越えて、写真はニノ鳥居となります。
左には、水田保育園が隣接されています。
写真では伝わりにくいかもしれませんが、結構な勾配がある太鼓橋を渡ります。
この太鼓橋を渡ったところが駐車場となるので、実は駐車場に車を停めてからニノ鳥居まで歩いて戻ってきて、太鼓橋を渡っています。
楼門の真ん中には、今年の干支である「寅」の肖像画が飾ってありました。
楼門右の看板。
楼門左には、馬の銅像。
楼門を入って、左の手水舎で手を清めさせていただきます。
御祭神 菅原道真の銅像。
国歌
「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」
さざれ石ってこんな石だったんですね~
「さざれ」という言葉は、副詞だとばっかり思い込んでいました・・・
三羽の鷽鳥(うそどり)の石造物。
左と真ん中の鷽鳥が踏みつけているのが、スズメバチの巣なのだそう。
参拝者をスズメバチが襲ったときに、どこからか鷽鳥が飛来してきて応戦してくれたということだそうです。
天満宮と言えば、丑ですね。
創建時期は、なんと鎌倉時代1226年(嘉禄2年)、菅原道真の末裔・菅原為長(ためなが)によるものだそうです。
本殿は、江戸時代1672年(寛文12年)に再建され、一部は1995年(平成7年)に補修されているのだそうです。
境内に左奥の心地池(しんじいけ)には神楽舞台が設置されています。
恐らく祭事に使われているのでしょうか。
水田天満宮のお詣りを済ませ、まだ「恋」らしさはまったく感じられませんが、本殿の左より恋参道と呼ばれる道を進んで行きます。
ハートマークの陶板が可愛い♪
このハートの顔はめパネルで写真を撮るのは勇気いるかも。
恋木神社に到着しました。
鳥居の額はハートだし、境内はピンクに塗られていて、なんともロマンチックな雰囲気です。
いたるところにハートのデザインが施されています。
歴女にも人気ありそうな御朱印は、やはりラブリーな感じです。
気になる恋木神社の創建時期は、なんと水田天満宮と同じ鎌倉時代1226年(嘉禄2年)なのだそう。てっきり私設神社なのだとばかり思っていました。
菅原道真の妻・島田宣来子(しまだののぶきこ)を京の都に残し、福岡県太宰府市に左遷された道真公は生涯を大宰府で終えました。
そんな道真公が愛した妻の御心を安じ、創建者菅原為長(ためなが)が同時期に恋木神社を建てたのだそうです。良縁に恵まれるようにという意味を込めていたのかもしれません。
今月は、バレンタインですし、受験シーズンでもあるので、参拝者が多いかもしれませんね。