序章、第1~6章7回に渡って

 

「伊勢街道マラニック」

 

を紹介してきました。

 

今回の【あとがき】で最後の最後となります。

 

 

 

 

 

伊勢に行きたい 

伊勢路が見たい 

せめて一生に一度でも

 

 

 

江戸時代、日本人口3000万人の内、500万人が訪れた伊勢神宮は、伊勢音頭に唄われているように日本人だったら一生に一度は行きたいくらい魅了されたところだったに違いありません。

 

伊勢神宮には、自宅から高速道路を使えば2時間ほどの距離なので、私は一生に一度と言わず今までに何度も訪れたことがあります。

 

 

 

 

伊勢路が見たい

 

 

これは伊勢街道を意味していると思います。

高速道路は短時間で目的地に行ける便利な道路ですが、高架を走行するのでその地域の風景、景色も車窓から秒速で過ぎ去ってしまいます。

 

一歩一歩と徒歩で歩んで行くのであれば、江戸時代の多くの方々が歩んだことと同じ気持ちになれるのかもしれません。しかし、徒歩で76kmの距離を踏破するには一日では到底無理です。

 

 

そこで、

 

「マラニックでいち早く移動して、観光名所を多く巡る」

 

 

 

プランから今回実行の約半年間の間に、「伊勢街道のルート」 「伊勢街道にまつわる歴史」を調査して計画を構築しました。

Googleストリートビューで曲がり角をチェックしたり、先人の方々のブログなどを参考にさせていただきました。

日照時間内、日帰りで観光しながら走破するには、一分でも無駄にできない行程を組み、ようやく今回実行することができました。

 

 

伊勢街道を一日で走破というのは、気力体力が最も重要ですし、これは年齢的にも一生に一度しかできない計画なのだと思います。

 

 

 

 

さてそもそも伊勢街道に興味を持ったきっかけですが、私が住む奈良県は古代歴史の宝庫なので、ちょっと歩けば遺跡、史跡にたどり着きます。

 

 

 

 

 

天照大御神を祀るのはなぜ伊勢神宮なのか?

奈良ではダメだったのか?

 

 

古墳飛鳥奈良時代の歴代天皇の古墳は奈良にあるのに、初代神武天皇の祖先である天照大御神100kmも離れた伊勢神宮に祀られていることに疑問に感じ、ルーツを探ることから始まりました。

 

 

私の近所に古墳がある10代崇神天皇の時代、国中に疫病が蔓延したそうです。

まさに現在のコロナ禍のような社会情勢だったと推測します。

 

 

その時代、天照大御神は宮中(現在の桜井市三輪)に祀られていたそうですが、崇神天皇は娘の豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に命じて、別の場所に祭祀を移動することになりました。

 

 

まず最初の引っ越し先は、笠縫邑(かさぬいむら)

笠縫邑は、桜井市の桧原神社・笠山坐神社・天神社のいずれかと推測されています。

 

 

それから24回の引っ越しを経て、最終的に11代垂仁天皇(すいにんてんのう)4女である倭姫命(やまとひめのみこと)が現在の伊勢神宮に、紀元前59年(垂仁39年)創建したことが始まりだったそうです。

 

 

このように自分が住んでいる地域で、伊勢神宮のルーツともいえる祭祀が行われていたことに興味を持たないわけがなかったのです。

 

 

 

 

現在の伊勢街道は全区間舗装路となっていましたが、特に宿場町があった地域では、今でも当時の趣きのまま温存されていて、連子格子町屋や常夜燈、寺社などに心と目があるのであったとしたら、何百年もの間、何人もの参宮客を見守ってきたことでしょう。

 

そう考えると古代から始まったお伊勢参りが、江戸時代にますます進化を遂げ、現在にも語り継がれているという壮大なロマンを感じられます。

 

実はあまり知られていない雑学を一つ。

 

現126代徳仁天皇の妹の黒田清子さんが、現在伊勢神宮祭主(さいしゅ)をされているのはあまり知られていないのではないでしょうか。なんか斎王制度が現在も永続されているようで嬉しく感じました。

 

 

 

--- 旅 録 ---

 

<宿場町>

日永追分(間宿)

神戸宿

白子宿

上野宿

津宿

雲出島貫宿

松坂宿

櫛田宿(間宿)

本明星小俣宿

山田宿

 

 

 

<河川・架橋>

内部川・河原田橋

鈴鹿川・高岡橋

鈴鹿川分流?・常盤橋

六郷川・大橋

六郷川・寿橋

六郷川・幸橋

金沢川・肥田橋

金沢川分流?・しまはし?

堀切川・和田橋

釜屋川・釜屋橋

堀切川・水門橋

中ノ川・中ノ橋

中ノ川分流?・瓶冠橋(かめかんむりばし)

田中川・大蔵橋

志登茂川・江戸橋

安濃川・塔世橋

岩田川・岩田橋

相川・相川橋

天神川・天神橋

雲出川・雲出橋

笠松井(農業用水)・平五郎橋

三渡川・三渡橋

百々川・塚本橋

阪内川・大橋

三度川・三度橋

名古須川・里中橋

金剛川・金剛橋

九手川・上徳和橋

櫛田川・櫛田川橋

祓川・祓川橋

笹笛川・新笹笛橋

大堀川・橋名不明

相合川・相合橋

外城田川・惣之橋

汁谷川・宮古橋

宮川・宮川橋

清川(廃川)・筋向橋

勢田川・小田橋

滝倉川・黒門橋

五十鈴川・宇治橋

 

 

 

<城跡> ★立ち寄った城跡

伊勢高岡城

神戸城★

伊勢上野城★

津城★

松坂城★

 

 

 

<寺社> ★立ち寄った寺社

河原田神社

専修寺神戸別院

矢椅神社(やぎじんじゃ)★

宇氣比神社(うけひじんじゃ)★

天白神社★

彌都加岐神社(みずがきじんじゃ)★

菅原社★

六體地蔵菩薩★

江島若宮八幡神社★

若宮稲荷大明神★

久留真神社★

磯山八幡神社★

甕釜冠地蔵堂(かめかまかぶりじぞうどう)★

河芸上野神社

痔神大明神★

逆川神社(さかがわじんじゃ)★

津四天王寺★

津観音(恵日山観音寺)★

浄安寺

真教寺閻魔堂★

市杵島姫神社★

神明神社★

成就寺★

南昌寺

称念寺

高茶屋神社★

薬師寺

信楽寺(しんぎょうじ)★

神戸神社(かんべじんじゃ)★

八柱神社(やはしらじんじゃ)

浄林寺

大櫛神社(豊養稲荷)★

竹神社★

安養禅寺

豊受大神宮(伊勢神宮外宮)★

長峰神社

猿田彦神社★

皇大神宮(伊勢神宮内宮)★

 

※街道沿いには、数多くの寺社があります。

 写真撮影した寺社を記載しております。

 

 

 

<名物餅>

四日市市:なが餅

鈴鹿市:立石餅

津市:けいらん

松阪市:まつかさ餅

伊勢市:へんば餅、赤福、二軒茶屋餅、太閤出世餅

 

伊勢街道は、別名『餅街道』なんて言われるくらい各地でもち米を使ったお餅が現在にも一子相伝引き継がれています。

手早く食べられ腹持ちが良いお餅は、長時間長距離を歩行するには最適な行動食だったのでしょう。

 

 

 

<参考文献>

みえの歴史街道

 

 

 

三重県観光連盟公式サイト

 

 

 

松阪市観光プロモーションサイト

 

 

 

近鉄てくてくまっぷ

 

 

 

街道歩き旅.com

 

 

 

シングルおやじの気ままな一人旅

 

 

 

  ▶  YOUTUBE 城・旅・ぶらりさんチャンネル

 

 

 

  ▶  YOUTUBE synapseroadさんチャンネル

 

 

 

Googleマップ

 

 

Googleマップには伊勢街道のルートが表記されているので、道中何度か現在地を確認しました。

 

 

- ・ - ・ - ・ - ・ -

 

4月 2日(土) 18:00

大雨の中、伊勢神宮・内宮前バス停より帰路に向かいました。

 

 

近鉄鳥羽線・五十鈴川駅までは約3.5kmの道のりですが、もう疲労困憊。

雨に濡れ、ウインドブレーカーの中まで浸水して、気温も下がってきていることより寒さも限界に達していました。

それよりもゴールした安堵感からか、膝が曲がりません。足が動きません。

 

 

 

足を引きずりやっとの思いでバスに乗り込みました。

ノンステップバスではなかったですが、ノンステップバスの必要性を感じました。

※写真は、51系統五十鈴川駅方面ですが、実際は55系統宇治山田駅方面に乗車しています。

 

 

 

 

 

 

近鉄宇治山田駅についた頃には、日の入りが過ぎライトアップされていました。

 

 

これから四日市駅まで戻り、さらに駐車場まで歩き、自宅まで運転して帰らなければならない使命が残されています。

 

 

 

一歩一歩自分の足で巡ってきた伊勢街道、せっかくだから地図を見ながら、各駅停車で一駅一駅をおさらいして思い出にふけりながら戻ることにします。

 

 

名古屋行急行に乗車すれば乗り換えなしのわずか1時間10分程度で、近鉄四日市駅に到着できますが、各駅停車だったので2時間もかけて移動しました。

 

 

 

Googleマップで近鉄路線地図を見てみると、ほぼ伊勢街道に沿って走行しているのがわかります。残念だったのは、夜で景色を見ることができず、ところどころ伊勢街道に接近する箇所があったのも暗くてみることができませんでした・・・

 

 

 

 

 

 

楽しみにしていたヘルスケア歩数グラフはこちら↓

 

 

10万歩越えしていると予想していましたが、思ったより少ないです。

走っていると誤差が出やすいヘルスケアアプリなのでこんなもんなんでしょう。

 

この場に及んでも、翌日に10,000歩達成できるかを悩んでしまった私(;^_^A

 

 

 

 

こんな壮大なチャレンジは、この先そう簡単に出来ることはないでしょう。

 

「いつまでも元気で健康でいたい」

 

と願っても人間は年齢と共に老化劣化していくもの。

 

だけど自分にとって ”大きな目標を達成した” という自信は、今後人生において活きてくるのだと願うばかりです。

 

 

序章、第1~6章、あとがき と全8回に分けて長々としたブログを最後までお読みいただき誠にありがとうございました。
 
 
 
伊勢街道マラニック
          
           
 
     完