体外受精というものをご存じだろうか。不妊に悩むカップルのため、男性の精子と女性の卵子を試験管の中で受精させ、その受精卵を培養してできた胚芽(エンブリオ)を女性の子宮に戻して妊娠させる技術である。これは、イギリスの生物学者ロバート・エドワーズと産婦人科医のパトリック・ステプトウが開発したもので「卵管閉塞」等で卵子が子宮に降りてこない不妊女性の治療法としてスタートした経緯がある。この是非を巡って、世界的な激論が交わされたのだが、これにつき「エルサレムで開かれる世界産婦人科会議に仏教代表として出席してくれないか」という打診が来たのである。

 私は単なる物書きで、医学(産婦人科学)には何の縁もゆかりもない者だったが、ある日突然、鳥取大学医学部(産婦人科教授)から電話が入り、ひたすら口説かれる事になった。

「今度、世界産婦人科学会がエルサレムで開かれることになり、その目玉として体外受精と宗教の関係が全体シンポジウムで催されることになった。ついては、君は中東にいたこともあり、現地の宗教にも詳しいと聞いているので、是非日本仏教の代表として参加してもらいたい。なあ、頼む。誰もへっぴり腰になって行く手が全くいないんだ。もう君しかない。もし引き受けてくれるなら、君の立場は『日本代表の学会招待』となるので、イスラエルの往復チケットとホテル代は無料(ただ)となる。つまりは、君が常々見たいと言っていたエルサレムがロハで行けるということだ。人助けだと思って、ここは何とか引き受けてくれないか」とか何とか口説かれて、その気になった次第である。

 だが、安請け合いはやはり良くない。「たぶん、何とかなるだろう」と思っていた体外受精の倫理課題は以外に手強かった。難問だらけで、どう判断していいのか分からないものが多々あった。そもそも、私には医学的知識がゼロに等しい。おまけに私の語学力は複雑な科学的討論に耐えられるものではない。せいぜいイミグレーション・イングリッシュに毛の生えた程度である。

 さあ弱ったーー正直頭を抱えてしまった。

 が、何もせずにいるわけにはやはり行かない。ひたすら英語の文献をかき集め、幾度も必死に読み漁り、それを意見にまとめ上げ、それを訳した英語を片っ端から暗記して事に臨んだ。

 まあ、何というか、当日のシンポジウムの三時間は針の筵にいるようだった。二時間のシンポが終わり、やれやれと思いきや、次の質疑応答では質問者の列が出るほど盛況で、とりわけ英語圏の医者どもは、こちらの立場などお構いなく早口の問いを発するものだからまるで分からず、それでも指名されれば答えざるをえないわけで、「これはおそらくこんな事を聞いているのだろうと、勝手に推測して答えに代えた次第」である。

 それが果たして当を得ていたかどうかは知らないが、何とか立ち往生は免れて日本国の名誉だけは傷つけずに終了した(少し自慢すれば、半年間猛勉強したかいがあったのだろう)。

 これはきわめて幸運なことで、右隣りのスンニー派イスラム教の代表は、途中で概念ミスを連発し、遂にはおしっこに行ったまま席に戻らず、左隣のユダヤ教チーフ・ラビ(彼はラビ・ゴレンと言い、第三次中東戦争時の主席従軍ラビでもあった)に至っては、旧約聖書の例えをもって強引に自説を展開したものだから、会場の前席に陣取った学会のボスと大喧嘩をやっていた。

 何せ、チーフ・ラビが聖書やアリストテレスの引用を引っ張り出し「女は男の価値の半分しかない」などと平気でのたまうのである。そのたびに大会議場では「オー!」という何とも言えぬどよめきが起こり、それを聞いたボスはボスで、壇上にいる我々を指さし「見ろ、諸君! まだこんな前近代の遺物どもが生息している」とまくし立て、拍手喝采を浴びるという始末である(ユダヤ教のコチコチ頭と私を同列に扱うんじゃないといささかむくれたが)。思わず、かつてのイギリスで行われた「ダーウィン論争(人間が猿の親戚か否かを巡って争った論争)」や、テネシー州で起きた「モンキー裁判(公立学校で進化論を教えていいのか否かを争った法廷闘争)」を想い出したが、それだけ「一神教と科学との対立は未だ根深い」と改めて思い至った。

 おそらく、傍から見れば絶好の見世物だったであろうが、私にとっては一神教の何たるかを知ると同時に、冷や汗ものの三時間であった。と同時に、単に還俗し、真言宗の阿闍梨位の資格だけを持つペーペーの人間が、日本仏教の代表になるという人生の不思議さに改めて感じ入ってしまった。まことに、人生は何が起こるか分からない。

 ちなみに、私と同行していた妻は、ここぞとばかり、私がうんうんと唸りながら学会の準備に追われている傍で、昨日は死海、今日はヘブロンと連日にわたり、イスラエル見学に大わらわであった。人生とは往々にしてこんなものである。