日本の社会は「郷に入っては郷に従え」が当是となって成立している。私もこれは厳守すべきで、「これを放棄すると、日本社会が基本的に成り立たなくなる」と思っている。

 が、グローバリズムの急速な進展の結果、この前提が揺らぎ出している。

 その思想的背景の一つに、多文化主義(文化相対主義)の過適用がある。そのため、少しでも他文明を排除する気配を見せれば、すぐさま差別主義のレッテルが貼られ、それを怖れるあまり、自国の文化や慣習が破られるのを黙認する場合が多分に見られる。その結果、上に見る「郷に入れば郷に従え」が機能不全となってしまう。

 その典型が一神教、とりわけイスラム教への態度である。周知の通り、イスラム教はいついかなる場合にも、イスラム法を至高とし、絶対規範として押し通す。これが、他文明との軋轢を生み、世界の至る所でトラブルの元凶となっている。テロリズムだけを言っているのではない。日常的に見られる社会習慣での衝突が頻発するのだ。

 同じ一神教でも、キリスト教は信仰を内面(心の内)のみに限定するため、その意味での衝突は避けられるが、イスラム教は「『宗教』即『法』」の立場を取るため、その信条が行動として現れざるを得なくなる。それが問題の元凶となってしまう。

 それは、食物タブーを皮切りに、女性に対する過剰隔離、他宗教施設への破壊行為(偶像破壊)、ポリガミー(一夫多妻制)の承認、同性愛者への弾圧(死刑も含む)、信仰の自由の全面拒否(イスラム教を捨てた者に対する背教規定の適用=死刑)、コーランや預言者への冒涜罪の適用=死刑)等々、それこそ枚挙にいとまない。

 その結果、ほとんどすべての他文明と抗争状態になっている。アメリカとはテロ戦争、ロシアとはダゲスタンやチェチェン戦争、中国とはウイグル問題、インドとはカシミール帰属問題、アフリカでは内戦とテロリズム、ヨーロッパでは移民問題やテロリズム、その他諸々のイスラム問題がそれに当たる。

 日本は幸い未だ深刻なイスラム問題に直面はしていないが、上記の例を見る限り、確実に日本にもイスラム問題が起こるであろう。ヨーロッパでの例を挙げれば、EU諸国の総選挙では常にイスラム問題が最大の争点となる事からも、その深刻さが分かろうというものだ。

 では、これにどう対処するのか。まずは、安易な移民を受け入れるべきではない。これはフランスや他のヨーロッパ諸国の例を見れば即座に分かる。移民を一度受け入れれば、その家族、そのまた家族・親族が際限なく入国し、しかも当該国に同化せず、二世三世が誕生するに従って、文化的亀裂がさらに深まる。一世の場合は、とにもかくにも暮らしを維持するのに必死である分、政治的社会的問題には関与しないが、二世三世ともなれば、疎外を受けたと思った瞬間、それに対する異議申し立てが開始される。しかも、そのアイデンティティーが郷に入るのを拒否したような場合には、地元民との激しい軋轢が現出し、共存不能の状態が続出する。それにたまりかねたメルケル(前ドイツ首相)は、イスラム教徒にこう言わざるをえなかった。「国法はイスラム法に優先する」と。これがヨーロッパの現状なのだ。

 ここまで書けば、必ず「その意見は差別である」とか、「文化多様性に反する」とか、「人種主義者である」とかの批判がなされるはずだが、それを怖れて沈黙した結果が、今の欧米(とりわけヨーロッパ)の姿なのだ。

 ちなみに、日本のイスラム研究者はおしなべて過剰な文化相対主義の立場を教条化し、イスラム教の寛容さを言い募り、イスラム世界に押しなべてみられる過剰な女性抑圧や同性愛者弾圧(現在のLGBT問題以前の同性愛そのものに対する全否定)の状況に口をつぐみ、テロ事件が起こった場合も「その背景こそ問題だ」とのコメントを出し続け、あまつさえ何らイスラムと関連のない安全保障関連法案を学会の名で反対表明するという愚挙をさえやる始末である。彼らはいずれも文化相対主義の立場を金科玉条としているようだが、それが既に破綻していることに対し、全くの無自覚なのだ。イスラム専門家を自称する者の状況がいかに惨憺たるものかが分かろうというものだ。

 世界各地の状況を他山の石とすべきであろう。日本にもタイムリミットが近付いているのだから。

 

 

 密教(秘密仏教)の最大の特徴は、それまでの仏教が一貫して否定してきた「欲望を解放した事」であった。

 だから、人が通常持っている欲望ーー例えば家内安全や健康長寿の他、呪詛等ーーも当然ながら含まれる。そして、それを実現するため、超能力の開発やその実施も肯定される。その結果、密教にはマジカルパワーを持つ者が必然的に寄り集まり、それを競い合うことにもなる。透視や空中浮遊や病気直し、さらにはオウム真理教が頻繁に行ったポア(幽体離脱の法)等もそれに当たろう。

 では、こうした超能力は果たして実態としてありうるのか。とりわけ時代は、科学革命を経た近現代となっている。それが無条件に肯定される時代では決してない。

 だが、依然としてこうした超常現象やそれを駆使する超能力の物語は、宗教(この場合は密教)についてまわり、一定の支持を集めている。

 それに、科学のメスを入れた脳科学者の一人にカナダの脳外科医ペンフィールドがいた。彼は、頭蓋を割って脳手術をした折、脳のあらゆる部位を突いてみた。今ではこうした実験はご法度なのだが、当時は何の縛りも無い為、やりたい放題ができたのだ。

 と、様々な反応が起こってきた。過去の情景が鮮明にフラッシュバックする部位、感情が異常に高ぶることになる部位、そして何とある部位を刺激すると、空中浮遊や幽体離脱を体験した患者までが現れた。「先生、私の身体が浮いています」と。

 さらにそれらの脳作用は、臨死体験とも重なり合うところが多々あったようで、これらの超常現象は脳内の幻覚作用と一応のところ結論付けられた。

 だが、それでもなお疑問が残った。患者の言動が脳作用では説明できないものが残ったからだ。さらには、ペンフィールドが予想していた「脳が人間の司令塔である」とのテーゼも否定されてしまったのだ。その結果「人間の司令塔がどこであるかは不明であり、そもそもそんなものがあるかどうか分からない」との結論になってしまった。そして晩年、人体以外の何ものかが人に何らかの指令を与えているのではないか」とまで言及する様になってゆく。さすがに彼はそれを「神」とまでは言わなかったが。

 これは、立花隆が書いた「臨死体験」とも重なるところがあり、立花もさまざまな臨死報告(超常現象を含む)の九割方は脳作用で説明できるが、後の一割はどうしても解明不能だと述べている(例えば、幽体離脱の末、恋人の家にまで行って帰ってくる報告等)。逆に言えば、科学がメスを入れれば入れるほど不明なものが多くなっていったのだ。

 

 で、話を元に戻す。密教はそうした超常現象(やその開発)を長い歴史の中で解明し、体系化を進めてきた。

 上に述べたポアなどもその一例で、チベット仏教のニンマ派はそれを修行の中に取り込んでいる。高野山(真言密教)でも、呪詛をその内に秘めており、漆黒の部屋の中で護摩を焚き、標的とする敵者を呪詛する「大将軍法」を保持しており、第二次大戦中には米大統領ルーズベルトを呪殺していた(偶然ルーズベルトはその直後に死んだため、表向きはさておき高野山では未だにそれを吹聴している)。

 このような密教である。マジカルパワーを売り物にはしているが、正当な仏教の教えから逸脱したわけでは決してなく、「そうした様々な欲望を小欲と位置付けて、それを人々を救い尽くす大欲に昇華しろ」との前提の下、そうした欲望を認めているのだ。

 オウムの場合は、その教えから逸脱し、小欲(呪殺等)のレベルで密教(金剛乗)を解釈し、その実践に走ってしまった。密教が、その内に諸刃の刃を秘めていることがこれでも分かる。チベット仏教はそれを承知しているため、初めに顕教を徹底的に知悉させ、それを終えた者だけに密教を教えるプログラムを施している。

 対する日本密教は、その顕教を学ぶ段階を全て省いていきなり密教を教えているが、それで果たしていいのかとの疑問がぬぐえない。オウムの問題はそこに内在する危険性を最も露わにした事件であった。

 ちなみに、私が修行した高野山専修学院(宝壽院密道場)では、毎年70名余りの修行僧を取っているが、私が入った時にはその一割ほどは初めから超能力者であった。だが、彼らを見ると、一人を除き、その大半はろくなものを見ておらず(経験しておらず)、その超能力に振り回されているような状態だった。マジカルパワーはある種の人間には非常な魅力に映るようだが、いざ獲得するとそれに逆に支配される恐るべきものなってしまう。超能力を求める事は悪いことでは決してないが、その事を十分に知った上でなされるべきだと思っている。

 

 

 映画『KANO』は、戦前の台湾野球チーム嘉義農林を率いた近藤兵太郎監督の下、甲子園に出場し、決勝で中京商業に0-4で敗れはしたものの、大変な詩勲を挙げ、その名を轟かせた事象を映画化したものである。

 その近藤であるが、出身は松山商業で、その後台湾に渡り、嘉義農林の教師に赴任すると共に監督に就任する。

 当時の台湾野球は、むろん幾多のチームが存在したが、全て日本人のみのチームであり、漢人や原住民(高砂族)の混成チームはなかった。そこへ、初めての台湾合同チームを作り、勝ち上がったのである。レギュラーは、日本人2人、漢人4人、高砂族3人で、彼らをとことん鍛え上げ、常勝チームに育ててゆく。

 その過程で、KANOが近藤に語らせた言葉が印象的だ。「日本人は守備に優れ、漢人は打撃に優れ、蕃人は走力に優れている。こんなチームはまたとない」

 むろん、その指導についてゆく部員は大変であった。何せ、厳しすぎるほど厳しいのだ。

 当時、嘉義農林のセンターを務めていた蘇正生はその事を次の様に述べている。

「そりゃあ、大変でしたよ。だから我々部員は『マムシに触っても、近藤監督には触るな』と言っていたものです」

「だけど、監督は真剣で必死で、皆の面倒を本当によく見る人でした。差別ですか? そんなもの一切ありませんでした」

 

 ちなみに、撮影に当たっては、最高のものに仕上げようと、甲子園球場を再現させるため、新たに同球場を真似た球場を作り、採用した球児たちも、実際の台湾高校野球部の生徒から採用している。そのことについての監督曰く。「俳優は素人でも構わない。だが、野球は絶対現役選手でないと絶対だめだ。それを基準に採用した」と。

 意気込みが伝わってくるではないか。それが台湾でも大ヒットにつながってゆく。

 ちなみに、現在甲子園球場はそのことを記念し、球場内にそれを展示するコーナーを設けている。

 

 かつて、日本は台湾統治の折、野球を台湾にもたらした。それは今開花し、台湾での人気スポーツとなり日台友好に大きな貢献をなしている。その一端が垣間見えるのがWBCでの日本・台湾戦での出来事だった。

 これより前、台湾は東日本大震災の折、200億円もの義援金を送ってくれ、その復興に大きな役割を果たしてくれた。それに感動した日本人野球ファンは、WBCでの日本・台湾戦の折、義援金への感謝を込めたプラカードを球場一杯に掲げて台湾チームへのメッセージとした。それを見た台湾チームは、敗戦(延長戦の末3-4で日本勝利)にも拘わらず、マウンドに集まり、深々と一礼してそれに対する感謝の念を伝えた。素晴らしいシーンである。

 その台湾野球の最初の基礎を作ったメモリアルこそ、嘉義農林の甲子園出場(決勝進出)であったのだ。

 また、日本で上映される機会もあると思う。ぜひ見てもらいたい映画である。

 鄭成功という人物は御存じであろう。台湾初の統一政権を樹立した人物である。

 彼の父・鄭之龍は台湾と日本を拠点とする東アジアを席巻する海商集団の統領で、日本の平戸城主にも気に入られ、田川マツなる日本人女性と結婚している。その子が鄭成功なのである(1624生)。

 その後、父・之龍は清に処刑され、母・マツは自害する悲劇に見舞われるが、鄭成功は「抗清復明」を掲げて戦い、明の隆武帝より国姓’(皇帝姓)である「朱」姓と「成功」の名を授かり、明が大陸を追われるとアモイに、次いで台湾に拠点を移し、当地のゼーランダ城(ニュージーランドの語源)に本拠を置くオランダを追い払い、台湾初の統一政権を樹立した。

 この鄭氏政権は、その後三代にわたって継続するが、清の圧迫に抗しきれず、1683年に清の軍門に下ってゆく。

 しかしこの間、座して死を待っていたわけではない。生き延びるのに必死の彼らは、まずは日本(徳川幕府)に、次いで琉球国や、ローマ法王庁にまで使者を飛ばし、台湾支援を求めている。

 その中で、最も期待したのが幕府(当時は家光の時代)の支援で、30年間に10度もの使者を送り、軍事援助を求めている。

 が、幕府はそれに応ずることなく、単なる倭刀(日本刀)といささかの銃火器を渡したのみであったという。

 その結果が、鄭氏政権(台湾政権)の崩壊を導くわけだが、では幕府が援助(軍事介入)した場合はどうであったか。

 これは面白い設定だが、私は台湾を防衛できた可能性がかなりあったと考える。

 理由は二つある。

 一つは、当時の家光時代が未だ戦国期の気風を残した時代であったことである。

 家康が全国統一をなした後、日本最大の輸出品は「あぶれた浪人(武士団)」と「有り余る武器類(刀や銃火器)」であった。

 事実、これら浪人は東南アジアに渡り、西欧諸国(主として英蘭)の傭兵となり、そこで新たな活躍の場を求めてゆく。世界史で有名なアンボイナ事件(香料の専売権を巡りオランダがイギリスの商館を襲撃した事件)は、その双方が日本人傭兵を雇っており、その経済的進出には彼らの存在なくしてあり得なかった。だから、幕府が日本人傭兵の輸出を止める措置を取った時、オランダの商館長が血相を変えて抗議をしたのはこの事があったからだ。

 それだけ、日本人の持つ武力は東南アジア一帯を席巻していたということだ。

 二つ目は、清が台湾を「化外の地」と見、重視しなかったことである。それは二百年経った明治期になっても変わる事無く、宮古島の難破船が台湾北部に漂着し、その漂着民が台湾の生蕃(原住民)に殺された事件に抗議した明治政府に、清は次のように答えている。「あれは『化外の民』たる生蕃がやったことで、我々は関知しない」と。

 それならば、ということで、政府は陸軍中将・西郷従道(隆盛の弟)揮下の陸兵(3600名)を台湾に送り込んだ(台湾出兵、1874)。さすがに、清はこれを「日清修好条規違反」として抗議したが、実際の阻止には動かなかった。

 

 右の事から分かることは、鄭氏政権の軍事要請に応える形で介入すれば、台湾防衛は可能であった可能性が大である。

 なぜ、この事を取り上げたかには理由がある。幕府・鄭氏政権の関係が現在の日台関係と相似しているからである。

 鄭成功を蒋介石に、鄭氏政権を現台湾政権に、支援を求める相手先を幕府から日米に変えて代入すれば、現在の台湾事情と同じである。台湾は一国では防衛できず、必ず外部(今ならアメリカと日本)に支援を求める。

 今度こそ、台湾の要請を断ってはならない。とりわけ今は幕府の時代と全く異なり、台湾は日本のシーレーンの最重要ルートに位置している。それは、文字通り「台湾有事は日本有事」を示している。

 日本には、他国に見られない二回のお葬式がある。通夜と本葬である。

 では、なぜ、このような奇妙な形になったのか?

 それは「おそらくは縄文時代の考え方によるものだ」と梅原猛は言っている。

 彼は晩年、アイヌの研究に打ち込むが、この時彼らの世界観(死生観)に注目した。

 それは「この世とあの世があべこべの世界から成っている」とのものである。すなわち「この世の夏があの世の冬、この世の昼があの世の夜等々」というわけだ。これは時間や季節に対するものであるが、それだけではなく、万事が万事この調子で、すべてのこの世の事象はあの世と反対になっている。

 私が幼い頃、ご飯に箸を立てていると「そんな事をすると死んでしまう」と言われたり、着物を左前にすると「それは死んだ者がする着方だから、すぐさまやめろ」と言われたりしたのはこのためである。

 となれば、あの世に旅立つ死者にとって、昼葬式をやってしまうと、あの世に着いた時は夜になってしまう。そうなると、全く見知らぬあの世の夜に行くと、道に迷って浮かばれない。従って、必然的にあの世の昼に到着するには、この世の夜に旅立たねばならぬことになる。

 だから、昔は本葬はすべからく夜だったのだ。

 ところが、それだと、今度はこの世に生きているものが困ってしまう。夜に集まり、一晩死者に付き添う通夜など近現代の人間にはできにくい。

 そのため、この世の人間に合わせる形で、昼に再度葬式が行われることになった。しかも、それがかつての本葬たる通夜を押しのけ、こちらの方が本葬と呼ばれることになってしまった。

 かくして日本は、「本葬たる通夜と、仮葬たる昼葬の二つが存在する」ことになり、しかもその役割が逆転し「本来の仮葬たる昼葬が本葬となってしまった」という事だ。

 これが日本に二つの葬式が存在する理由である。

 

 ちなみに、日本人は仏教の六道輪廻を信じないことも、この事に依っている。あの世とこの世の二つしかない世界にとっては往復運動しかないわけで、六道を限りなく死に変わり生き変わりする仏教思想は、表向きはともかくも、本気で信じられることはなかった。

 もとより、キリスト教やイスラム教の言う最後の審判など受け入れられるわけもなく、従って天国も地獄も本気では信じられるものではなかった。何せ、この世とあの世の往復運動に近似する六道輪廻でも信じられない日本人が、生まれ変わりも何もなく、直線的な時間の経緯のその果てに実現する最後の審判やその結果生ずる天国・地獄を信じられるわけもない。未だ二つの葬式が存在し、それを何の疑問もなく行われているその現状がそれを端的に示している。

 日本人の死生観(あの世観)は、未だ縄文時代の世界観(アイヌはそれを最も保存していた)により占められているのである。