渓流沿いの藪の中の小道で、前を走っている半裸の少年たちに追い付こうと、澪も衣を風に、なびかせて駆けている。

「待って三平! あんたたち、あたしより先に行かないで!」

 少年たちは、川辺の岩の陰に何かを見つけて、急に立ち止まった。

 澪も追い付いて来て立ち止まり、息を切らして、素肌には新鮮な汗を、にじませながら言った。

「あんたたちが皆で近づいて行ったら、あの武士が驚くでしょ。あたしが、まず様子を確かめるから、三平、ここで待ってて」

 澪は、少年たちを押し退けて、呼吸を整えながら、岩場の狭間の砂利の上に横たわっている男に近づいて行く。

「もし、都のお人。……さっき声を掛けたあたしよ」

 目を閉じている男の横顔に呼び掛けるが、反応が無いので澪は、もっと武士に近づき、その傍らに跪いた。男の顔色や唇の動きを覗き込み、呼吸が有るのを確かめた澪は、ほっと胸を撫で下ろしている。

その澪の背後から、三平たち少年五人が、押し合いへし合いながら、武士の姿を覗き込んでくる。

慌てて澪は両手で、少年たちの体を押し返した。

「ちょっと、あんたたち、まだ近づいて来ないで!」

 武士の装束や武具にも興味津々の三平が、横たわっている大人の男の体を眺め回し、顔や全身の擦り傷、首と肩の間の破れた衣が血に汚れているのを見ながら、

「この侍、死んでる」

と呟いた。

「侍だから闘って負けたのかな」

「合戦で殺されたんだよ」

と子分の少年たちが騒ぎだしたので、澪が皆を黙らせた。

「いいえ、この武士は生きているわ。息をしているし、傷ついて眠っているだけよ」

「なんで都の武士が、こんなところに寝てるんだろう」

「澪。この侍は、どうして目を覚まさないんだ?」

 子分のあとに三平が、澪に尋ねた。

「あの高い崖の上から落ちて、ひどく怪我をして、今は動けないんだわ」

「なんで澪は、そんなこと知ってるんだ?」

 澪は立ち上がって、三平と対面してから言った。

「あたし見ていたのよ」

「見ていた? 崖から落ちるところも?」

「そう、川沿いの森の中を歩いていて、この武士が崖から落ちるのを見たの」

「どうして崖から落ちたんだ」

「知らないわ」

「どんな風に落ちたんだよ、誰かに落とされたのか」

「何か人が争うような音を聞いて、あたしが見上げたときには、この武士が、あの崖の上から落ちるところだったのよ」

「落ちる前には、この武士を見て無かったんだな」

「どうして、そうなったかなんて、あたしは知らない」

「澪は、どうして、こんな森の中に一人で居たんだ」

「隣り村へ行くお父ちゃんを見送るために、村の外れの峠道まで行ったの。もと来た道を戻るのは、つまらないから、それで家までの帰りは、ちょっと遠回りだけど、この川沿いの道を一人で歩いていたの」

「でも、澪が、こんなところに一人で居たなんて、なんか奇妙だな」

「……あら、あたしはよく、お父ちゃんやお兄ちゃんを見送って峠まで行ったら、畑や田んぼの近くの道ではなく、一人でこの谷間の辺りを通って家へ帰っているのよ」

「この谷や川は、おれの縄張りなのに、へえ、知らなかった。そう言えば、澪の着物は随分と濡れているみたいだけど、お前、川にでも入ったのか?」

「…………」

 また澪は、心配そうに、武士の容体を確かめている。

 三平は、武士の左の鎖骨の深い傷や、全身の出血を見ながら、澪の横顔に言った。

「この武士は、今は生きていても、刀で斬られたみたいだし、あの崖から落ちたんじゃ、すぐに死んでしまうさ」

「三平、もう黙ってて。いいから、あたしの言うとおりにするのよ。約束したでしょ」

 すると側に立っている次郎が言った。

「約束って何?」

 澪は、それも『秘密よ』と言うように、口に人差し指を寄せたあと、姉が弟たちを促すように号令を出した。

「さあ、みんなで必要な太い枝を探してきてちょうだい。その枝を使って、大人たちが大きな獲物、猪や熊を運ぶときみたいに、この武士を、三平の秘密の隠れ家まで担いで運ぶのよ」

「よし、みんな。この武士の背丈よりも長い、太くて丈夫な枝を五本くらい探すぞ」

と三平が子分たちに指示しながら歩き出すと、

「あい、わかった」

と他の少年たちも川辺の藪の中へ入って行く。

 澪は再び、男の傍らに跪き、その顔を覗き込んで、

「あたしが、あなたの傷の手当てをして、死なずに済むようにしてあげるからね。はやく目を覚ますのよ」

と女らしく語りかけた。

 惟近は、夢現(ゆめうつつ)の中で、少年たちが近くで騒ぐ声を、ぼんやりと聞いているような気がしていた。そして、再び若い女が近づいて来る。花のような香りを漂わせながら顔を寄せてきて、何かを語り掛けたのも何となく分かっていた。

しかし、惟近の意識の中では、痛みなのか、熱なのか、その不快な眠気のために再び、死ぬとはこういう事なのか、という考えが思い浮かんだあとに、すべてが闇の中に消えて無くなった。