古く崩れかけた水車小屋の中は、壁板の隙間のあちらこちらから光が差し込んでいるが、薄暗い。屋外の真夏の灼熱と比べれば、小屋の真横を冷たい川水が流れていることもあって、小屋の中は少しだけ涼しく感じられる。
三平たち少年は、疲労と痛みのある肩や腕に最後の力を込めて、武士の大きな重たい体を、小屋の荒れ果てた床板の上に担ぎ下ろした。澪は、武士の頭を支えて体を横たえるのを手伝っている。
少年たちは、
「ああ、重かった。すごく疲れた」
「肩と腕が、まだ痺れてる。手も痛いよ」
と騒いでいる。
三平は、身じろぎ一つしない横たわった武士を見て言った。
「この侍は、やっぱり死んでしまったようだぞ」
床に武士の頭を静かに置いた澪は、汗ばんで上気した頬を寄せて、武士の顔を覗き込みながら、喜びに微笑んだ。
「いいえ。怪我がひどいし、すぐには体を動かせないくらい弱っているから、深く眠ってるだけよ。生きているわ」
三平は、澪の横顔ばかりを見つめてしまう。
澪の吐息が、武士の耳の辺りを撫で、それに反応して武士の瞼が少し動いた。やがて、侍は目を薄く開けた。
澪は瞳を輝かせて、三平の顔を見上げた。
「三平、見た? ほら、生きてる」
「…………」
澪と、まともに顔を見合せて、三平は自分が澪の横顔を食い入るように見つめていたことが、ばれては困ると、慌てて武士の顔に視線を移したが、もうその侍のことは、どうでもよく、薄暗い中でも白く輝いて見える澪の色香だけが気になっている。
澪は、三平たち五人の少年に目を配り言った。
「もう、あんたたちは、どこか他へ行って、遊んでていいわよ。あとは、あたし一人でやるから」
珍しかった本物の都の武士の姿ではあったが、まったく身動き一つしないし、見ていても何の変化もないので、少年たちは完全に飽きていたから、さっさと小屋の外へ飛び出して行った。
三平だけは、小屋の外から戸を閉めながら、立ち去り難そうに澪を見て言った。
「その侍、かなり血も出ているし、怪我の手当てとか、ほんとにお前一人で平気か?」
「平気よ。あたし一人で何とかする」
「でも、もしその侍が目を覚ましたとき、すごく悪い奴だったりしたら、どうする?」
「この武士は、きっと、そんな人じゃないわ。良い人よ」
「…………」
「それより、三平あんた、あたしとの約束は必ず守るのよ」
「約束は守るよ」
「この秘密は、隠し続けなくてはならないの」
「……ああ」
「きっとよ。村の誰かに話したりしたら、あたし、あんたを許しはしないから。分かった?」
「分かった」
「あんたの子分たちのことも頼むわ。よくよく言い聞かせておくのよ」
「分かってる」
三平は、戸を閉めた。
薄暗い水車小屋の中で、横たわった怪我人を前に一人になった澪は、覚悟を決めて、武士の顔や体の傷を確かめ始めた。
汗や血に濡れている惟近の顔や体の肌に、女性のか弱い指が触れる。優しく撫でるような生温かい感触に、惟近は目を覚ました。しかし、目を大きく開けることができない。薄眼で辺りの気配が、ぼんやり分かるくらいで、もちろん体を動かすことは、まだできなかった。
そして、何だか、川の流れる音が聞こえているな、と思っているうちに、また深い眠りに落ちていた。