水車小屋の近くで、三平たち少年五人は、飽きることなく子供遊びを続けている。
どうして少年とは、あんなに楽しく夢中になって、時間など忘れ去り、いつまででも遊び続けることができるのだろうか。その少年たちに、遊びを止めさせることができるものは、ただ夕闇と空腹だけなのである。
夏の陽が落ちて、樹海の西の空が朱色の夕焼けに染まり、森の中も水車小屋の辺りも薄暗くなってくる頃、三平の年下の仲間たちも空腹にも気づいて、すぐに家路につくのだった。
しかし、十四歳の三平だけは、遊んでいる時から、ずっと同い年の澪のことが気になっていて、一人で水車小屋の前まで戻って来た。小屋の中の澪と傷ついた武士が、あの後どうなったのかを知りたくて知りたくて、小屋の外から、しばらく中の様子を窺っていたが、三平はまだ子供だから、やがて我慢できずに、思い切って小屋の戸を開けた。
屋外よりも、もっと薄暗い水車小屋の中で、澪が驚いて振り向いた。
「三平。あんた、ちょっと、いきなり戸を開けないで」
「なんだよ、いいだろ、べつに。ここはおれの隠れ家なんだぞ」
澪は、横たわったままの武士の傍に跪いている。古い桶に汲んだ新鮮な川水で、武士の体中の傷を洗っていたようである。
三平は、だいぶ血が洗い流された武士の顔や体を見ながら、澪に言った。
「その肩の傷が一番痛そうだな」
「そうね。この胸と肩の間のところの矢傷を、まず何とかして手当てしないと、この武士は、きっと死んでしまうわ」
「……なんで澪は、その傷が弓矢での傷だって知ってるんだ?」
「えっ? なんでって、武士だから弓矢で射られたんだと思ったのよ」
「侍同士の斬り合いでの刀傷かもしれないだろ」
「いいえ、矢傷よ」
「やっぱり澪は、この侍が弓矢で射られたところも見ていたんだな」
「…………」
澪は、そのことについては話したくないようなので、三平は話の道筋を変えた。
「澪は一人で、その矢傷を治せると思うのか?」
「一人で何とか、やってみるわ」
「手に負えないだろ。やっぱり村の大人たちに見せて、村の中で手当てしないと、その侍は死んでしまうんじゃないのか」
「去年、お兄ちゃんが、森で熊に襲われて、背中とか腕を、ひどく怪我したとき、お父ちゃんとお母ちゃんが手当してるのを、あたしずっと真剣に見ていたの。だから、あの時と同じようにすれば、きっとこの武士の怪我も、あたし一人で治せると思うの」
「…………」
「明日、家から、お兄ちゃんの手当ての時に使った傷の薬とか薬草を持ってきて、早く治るようにしないと」
「でも、もう今日は澪も帰ったほうがいいぞ。この中に居ると分からないけどな、外は夕焼けも終わって、森の中は真っ暗だし」
「そうね、気づくと、もう夜になっちゃうのね。一日は短い。時間が足りないわ」
三平が、二人で一緒に村へ帰ろうと澪に言いたいが言えずにいると、澪が、
「三平。あんたも早く家に帰った方がいいわよ」
と言った。三平は少し意外だった。
「澪は、まだ帰らないつもりなのか」
「あたしは、もう少し、この武士の足の傷を洗ってから帰ろうと思うから、三平、あんんたは先に帰って。早く帰らないと、お母ちゃんに怒られるわよ」
「…………」
そのあとも三平は、夕闇の中で、しばらく水車小屋の外から、屋内の澪と武士の様子を窺っていた。澪が家路につくために、早く出て来ないかな、と三平は期待していたが、澪は、なかなか出て来なかった。
もう三平は、子供のように我慢できずに小屋の戸を、いきなり開けることはなかった。小屋の中にいる澪と武士の肌の近さを思うと、無邪気にそんな二人を見ていることができない自分自身に、ついに三平は気づいたのだった。今この瞬間に、男子である三平の心は急激に成長している。
しかし、三平少年の現在置かれている家での立場は、まだまだ子供扱いだった。これ以上帰りが遅くなると母に怒られるので、三平は、もう澪が出て来るのを待っていることができずに、一人で家へ走るしかなかった。