家内はそれまで17年間電電公社で電話交換手として働いていました。ところが交換という業務が自動化し交換手が要らなくなりました。それでその年の3月31日までに退職すれば正常の3倍の退職金が出ることになったわけです。あと3年働いて年金を確保するか今やめて3倍の退職金を渡仏に役立てるか考えましたがああ結局辞めることにしました。どのくらい出たのかわすれましたが。地元のデパートで158点の二人展をやって手取り100万弱当時お袋が持っていた土地を100坪売って買ったひとが小さな2階家を建て全部で100万円でできたと言っていたので100万円は半端な金ではありませんでした。出発前500万できたので現在の金で3,000万円はあったでしょう。ですから渡仏の準備としてはまあ悪くはなかったと思います。我々は現金で140万円を胴巻きに入れてあとは当時現金で500ドルしか持ち出せなかったので140万と500ドルで出発しました。1ケ月で渡仏を決定したわりには不安はほとんどありませんでした。最初横浜の小川港からソ連船で2泊してナホオトカに着き15時間夜行でハバロフスクにつき日本兵のシベリア抑留中に亡くなった墓地をお参りしプロペラ機で8時間かけてモスクワ到着そこに2泊し33時間かけてウイーン到着そこで15人ばかりのグループは解散各々の予定で北欧に向かうものデンマーク、オランダ方面またドイツやフランスに行く者など散っていきました。我々はウイーンが気に入り一泊しパリに向かいました。夜行の簡易寝台をとって翌朝パリの北駅に着きました。小さなカフェに入って早速カフェを頼みタバコは吸いませんがフランスコ語の実践とおして大衆のタバコゴロワーズをギャルソンに注文したらすぐ持ってきました。ついでにマッチ(アリュメート)をと言ったら持ってきてくれなんだ日本交通公社の6ケ国語で通じるんだとあまりの意外さに拍子抜けがしました。そこを出ると近くに大きな市場がありまずオレンジを3,4ケ買いチーズを2種カマンベールとヤギのチーズを買いました。ヤギのチーズは臭くて捨てました。しかしすぐ大好きになりました。出発のとき主にドイツから小型の工作機械を輸入している友人が日本からの荷物の送り先にエールフランスのシャンゼリゼの事務所に勤めている同じ歳の人を紹介してくれていたのでそこに電話したら1週間前に辞めたと同僚の日本人の返答でした。彼のアパートの電話を教えてくれました。その夜彼はカルチエラタンのホテルに日本から送った荷の書類を持ってきてくれました。彼はJALの航空代理店を開いたところでした。奥さんが何と会津の殿様のお嬢さんでした。彼はフランス人の御主人をを持つ日本女性と航空代理店を開いたのです。素敵な事務所です。そんなこんなでパリ生活が始まりました。