1971年の5月4日にパリについて7月にマレー地区の17世紀のボロアパルトマアンに落ち着いて界隈の散策を始めました。我が家の数軒先にユダヤ人のばあさんがやっている小さなギャラリーがあり入ったら当時私は35歳、そこに画家だという私より15歳位上のフランス人がいてばあさんが紹介してくれました。そうしたらすぐ私と家内を自宅に食事に招ぶというのです。翌日の昼食に決りました。料理はささげ(アリコヴェール)とささぎ豆と肉を煮た料理だったと記憶しています。奥さんも彼も料理は上手でした。以後月に1回くらい自宅によんでくれました。以来毎週水曜日の午後は時々は家内と彼と三人大抵は彼と二人で画廊を訪ねたりポルノを見たことないと言ったら連れていってくれたりしました。彼は女好きでキャッフェで横にいる脇女をよだれをたらさんばかりに眺めたり話しかけたりします。彼はプロの画家を宣言してまだ2,3年貧しい画家の友人たちに振舞っていた時は周りにひとが集まっていましたが今は誰もきません。人間tってこんなものかも知れません。以来彼は毎週水曜日の午後に来て大抵は二人で画廊、キャフェ、私が行ったことないといったらポルノ専門のシネマなど一挙にフランス人の生活に分け入りました。彼は苦労人で優れたところも多々ありサラリーマンをやったことは少しだけであとはハンドバック関係で自立して生き抜いてきていい人間と出会ったと思います。銅版画のメッキ工房も見つけてもらい以来帰国するまで頼みました。歩いて30分ほどの所にあり便利でした。彼とは彼が直腸ガンで亡くなるまで25年近く付き合いました。俺はお前のパリのパパだといってました。奥さんはその後10年近く生きました。私と同年の一人息子が親孝行で郊外で衣類とスポーツ関係の店をやっていて同じ家のなかに両親の部屋風呂など別につくってありいつでも自由に使えるようにしてくれていましたが殆ど泊まったことはありませんでした。私に打ち明けたところによると甘えて負担になるのを極力避けているといいました。フランス人も日本人と同じことを考えているとしりました。彼は何でも私には話しました。彼を通じてフランスとフランス人をどれだけ学んだか知れません。彼は手先が器用で額装は全部自分やりその材料屋がモンマルトルにあり二人でよく行ったものです。2,3年後彼のサロンを解放して家内との二人展をやってくれました。当時の日本円で140万円くらい売れ全部くれました。お礼に立派な室内用イーゼルをお礼にプレゼントしました。当時食料は安かったです。サーモンの燻製まるまる1尾が3,000円くらいでした。チョコレートもベルギー製のはフランス製の半分ぐらいでよく招待されたときもっていきました。3年後には作品もかなり売れて雨ざらしの車を買い保険に入って蚤の市でテントや飯盒など買って荷台にマットを敷いて彼と奥さんが夏にはいくスペイン国境近くのバカンスのまちコリューに向かいました。住所も電話も知りません。一泊目は山の中に迷い込んで二日目ようやくコリューにつきましたが住民3,000人っバカンス客7,000人アムセルという名と画廊のスペースを借りて絵をうっているという情報だけで夕暮れ時さがしましたら俺知ってるヨというムッシューが現れて連れていってくれました。彼と奥さんはビックリしました。二人はすでに夕飯は済んでいましたが魚料理が残っていてご馳走になりました。彼は土地の素人画家が持っている画廊の半分を夏の間だけ借りて絵を4ケ月滞在しています。その女の画廊の所有者がバカンスの貸し部屋をもっていて9月初めで空いていたのを只で貸してくれました。小さな台所とシャワーと寝室だけでしたがクルマの中に寝るより快適です。コリューには2週間いました。夢のような時間でした。広いブドウ畑が広がって誰もいません。ブドウやイチジクをちょっと失敬しました。これがニース近くで見つかったらたいへんです。世界的な彫刻家マイヨールの墓があるというので出かけました。彼の生家あと今は家もなく彼の墓があり有名な「地中海」というブロンズの裸婦像があるだけです。近くに魚市場がありそこでイカやカツオなど買って浜で流木を集め焚火で焼いて食べました。30km行けばスペインでコンポスタルという巡礼で有名なところにもいけましたがスペインには行かず仕舞いでした。帰りはアルル、カマルグ、ブルゴーニュなど通って約1ケ月の思いがけないバカンスでした。1970年代は今考えると夢のようです。1980年代にはいると途端に買い取りの画廊が激減しました。それでも新作20枚買ってくれるところは続いていました。1980年10年ぶりで帰国して銀座に売ってくれる画廊もできたので私には心配なく仕事は続けられました。このアムセルがコリューに新しくできた版画の画廊に私を紹介し預かるようになりこれが予想外に売れました。そこでもバカンス客に貸し部屋を持っていて1ケ月只で貸してもらい作品も売ってもらいコリューは3回行きました。コリューは北欧ドイツなどからきて作品も彼らが買うそうです。今考えると真に夢です。売れなくなって20年人生の渋味をいやというほど味わいました。でもそれはそれでまた人生の味です。今の若い人たちは売れたという時期はありません。人生の半分は売れたので十分です。話は変わりますが1年前30年住んだフロリダからコスタリカに移り住んんだアルゼンチン人の50年来の友人に1ケ月前にメールやって返事がないので心配して姪に英語で叔父が心配してると出してもらったら返事がきました。友人の医療でコスタリカよりガテマラが近いので友人を連れて家を離れていたような内容でした。いつも拳銃は家に置いてあるともありました。彼は75歳くらいで2回アメリカ人と結婚し離婚今は一人でコスタリカの密林と草原の境に土地を買ってアトリエと家を建て人生最後ジャングルャングルの鳥や動物を楽しみながら暮らしたいのでしょう。孤独が好きな私にはペシミステックに見えますが本人はオプテミストでレアリストといいます。体の大きな頑丈な男です。健康ならコスタリカにも行ってみたいです。とにかくひとまず安心しました。