毎日屋根裏上がることは上がるのですが上がった途端カタツに倒れ込んで昼飯まで音楽を聴くこともなく寝ます。これは動くと今は脇腹が痛いので痛くない角度で横になって寝ます。今日は初めて服を着る元気がなくどてらのまま屋根裏に上がりました。7時半ごろ珍しく神戸の家内の妹から電話があって丁度風呂に入っていて1時間後に電話すると切りました。家内では耳が遠く会話になりません。上がって電話しましたがこの電話は現在使われていませんとの応答でした。どうしようかと迷っていたら家内が彼女のケータイの番号を知っていて会話ができました。私はてっきり家内の弟の奥さんが死んだ知らせ化と最初おもいました。電話の主な目的は10年ほど前ちょっと使っただけの26万円もする浄水器のカートリッジが大丈夫かということでした。去年彼女の義母が亡くなったとき新しいカートリッジを送ってもらったので大丈夫と答えました。義妹の死でなくてほっとしました。久し振りの会話は嬉しかったです。電話のせいで9時に朝食をとって屋根裏に上がろうとしても脇腹の痛みで1時間台所で家内にさすってもらってからなんとか屋根裏に今まで一番時間をかけて上がりました。でもコタツに倒れることなくパソコンの前の椅子に座り一呼吸入れて家内の妹に絵手紙を書きました。それから2日ぶりにブログを目下更新しています。この頃時々気が失いそうになることがあります。数秒間ですが。気力も減退してます。脇腹の痛みが無くなればまた元気が戻ると思います。先夜10時から天才ピアニスト、ブーニンの9年に亘る闘病と復活の記録を1時間半みました。彼はロシア人で両親ともピアニスト離婚して母親に天才教育を受けます。そして19歳で史上初めてショパンコンクールで優勝します。そして母親と当時の西ドイツに亡命し世界的に活躍します。その間日本女性ジャーナリストのインタヴューが切っ掛けで結婚します。そして40代の半ば生来の糖尿1型が悪化して左足首から切除しなくてはならなくなります。ピアニストにとっては致命傷です。そこでドイツ中の医師をさがし切らないで骨を短縮して足を残すことに成功する。リハビリも厳しいものでした。しかしなかなかピアノの練習をする気力が湧きませんでした。当時まだ奥さんはジャーナリストである伝記を書く準備中でした。それで彼を挑発します。彼の練習の再開と伝記の完成の競争を、彼も練習への第一歩を踏み出します。4センチほど短くなった左脚は靴底を4センチ上げることでカバーしますがそれでも感覚が伝わりません。イタリアのピアノメーカーは左足を置く特別のパーツを作ってくれます。そして9年間ケルンと日本を行き来しながら9年間再開への努力が始まり気落ちすることもしばしばかつて華麗は音は誰も真似ができなく天才の名を欲しいままにしましたが今は57歳シューマンなど内面的な音楽が主です。そして9年目に河口湖の近くにある250人のコンサートホールで9年ぶりの演奏をします。演目はシューマンで母親に小さい時から叩き込まれた思い出の曲です。全国から彼のファンが詰めかけます。その20日後東京女子大の2,000入りのコンサートホールでやります。そしてアンコールで初めてショパンを弾きます。まだその華麗さの片りんは残っていました。大成功でした。彼はこの復活ができたのは一重に妻のお蔭と感謝を惜しみません。すごい復活劇を目撃しました。翌日夜更かしがたたって一日寝ていました。今日は暖かで屋根裏は快適です。今日は実に久しぶりで神戸の義妹とも話して痛いけれど良い日です。午後は玄関の間の寝室で横になります。