今日200メートル離れた実家のお墓に5ケ月ぶりに自転車でいきました。腕が弱っていて最初は腕でハンドルをしっかり持てず危なっかしかったがすぐ感を取り戻し一段弱い回転でやりました。たった200メートルですが墓地内は道も細く降りました。墓地も去年の彼岸には行きませんでしたのでお盆いらいです。姉の墓石も実家の墓地と折半して同じ場所にあり娘の姪も私の家から徒歩30秒のところにあり時々食料の差し入れがあります。まだ姪は来てなく雑草も生え雑然としていましたが到底草むしりのエネルギーは無いので腐った水を取り換え花を添え線香をあげました。県都に住む実家の義姉と姪は明日きます。私たちの家と接している実家は目下無人で今回の地震で水道管など破裂していないか水道のメーターを確認したら動かず大丈夫と連絡しました。私たちがここに住むことで実家を守っています。私が大学を5年もかかって卒業し就職しないで画家になると実家に帰ったときお袋はさすが動転し女占い師二人に占ってもらったら二人から同じことを言われたそうです。お前の跡取りはお前の役にはたたないが問題の末っ子はゆくゆくお前の助けになって実家を守ると言われたそうです。すぐ上の姉が85歳で亡くなる5年前ごろ打ち明けられました。当たっているかもしれません。私の人間観は血縁、地縁、学縁、などより人間そのものの価値によって決めます。これは理想、理念でもあります。それを人生を通して実践しようと努力したからこそ40年も会ってないアルゼンチン人の友人とカナダ人から大枚の金が送られてくると思います。私は受けるだけでなく赤貧洗うがごとしだったラオス人の同じ歳で私と同じアパルトマンに居て27ケ月の家賃を滞納して家主があと2年ただで置いてやるから出ていきなさいと言われた友人を私なりに応援しました。

。家主も偉いです。彼がガスも止められましたが法律で保護されているのか電気が止められることはありませんでした。私も日本の友人に何十点も彼の写真を買ってもらって大金を彼にドルで渡しました。その後パリ国立図書館で180点、3ケ月の回顧展をしてラオスに引き揚げました。20年前にラオス第二の都市サバナケットのフランス文化センターで大回顧展をやった1,2年後65歳で亡くなりました。ドイツ人の奥さんとの間に息子と娘がいてぞの回顧展に二人できたそうです。奥さんとは子供が小さい時に別れました。彼の作品はフランスでも評価され8万円で売られていましたが赤貧洗うがごとしで血液の質が低下してぶっ倒れましたが健康保険も無く臨時に区から健康保険を只で出してもらって払いました。アパルトマンを出てどこに落ち着くのか心配でしたが彼のフアンの10歳下のポーランド人カップルが引き受け彼がラオスに帰るまで3人で同棲しました。奥さんが彼の裸婦のモデルになり地方の原野の中で裸の作品は写真集になりました。奥さんは映画の監督志望でしたが5,6本の短編しか実現しませんでした。旦那も映画のキャメラマン志望でしたがキャフェテアトルの記録や画廊の案内状の写真などで1、2回長編映画のセカンドキャメラマンをしただけでした。でも二人とも素敵な人たちでした。私が帰国した後3,4点日本に注文をよこしました。彼らはこのラオス人にはどれだけ応援したかわかりません、回顧展にも行ったそうです。      話は横道にそれましたが私の価値観が今もって世界に友人を存続させていると思います。今色々な新しく出会う若い人たちが助けてくれるのも私の人間観のせいと思います。今こうしてほとんど行動力も制作もできない己ですがまだ精神は死んでいません。今日自転車にたった200メートルですが乗れたことで更に元気になりました。10時に就寝しましたが寝付かれず甘酒を飲んで屋根裏に上がってこれを書いています。1時です。このようなことは2年ぶりです。今年は魂に再び火がつくかも知れません。