一昨日夕飯を食べ終えまだ明るく涼しかったのでコーヒーの豆、料理用の安いブランデー、ゴミ袋など買いに自転車で出掛けました。もう4キロ以上は背負わないことにしてあるのですが5キロぐらい背負って往復4kmほど暗くなる前にとちょっと急いで帰りました。そうしたら翌日どういう訳か両腕の筋肉痛がおきまた全身疲れてそのまま朝食をとってベッドで横になって家内に電気マッサージ機をかけてもらったりして1日何もやる気が起きないで休みました。どうして5キロばかりを背負っただけでこんなに疲れるのか分かりませんが自転車をもむと案外両腕に力がはいるのかもしれません。しかし今までは往復8㎞もんでも両腕の筋肉痛が起きるということはありませんでした。とにかく最近急激に体力が落ちたことは確かです。家の中でもよたよたしています。これが85歳の私の現実なのでしょう。あまりの疲労にコロナにでも感染したのかと疑ったくらいです。そんな体調なのに血糖値は120を超えることは珍しくとても安定しています。
家族の墓は歩いて10分のところにあり近くの姪などはもう4,5日前にお墓参りにいっていましたが私はようやく16日に行きました。疲れていく気がしなかったのです。今まではちゃんと草をむしってきれいにする余裕がありました。こういう風に急激に体力が落ち逝くのなら結構なことです。今では60代で急逝した友人が羨ましいくらいです。
パリ時代2年半仲良く付き合って1972、3年頃週2回私の所に銅版画を習いに来ていた同県出身の洋画家で私より5,6歳若かった友人は家族を北海道において彼だけ出身の福島市にいて制作をしていましたが糖尿で血管がぼろぼろになっていて57歳で脳の太い血管が破裂して即死の状態で彼の人生の友とも言える友人が夜の1時に彼を訪ねて彼が死んでいるのをみつけました。彼は高校の友人で大学時代3畳の部屋で一緒に暮らし同じ娼婦を買った仲です。
彼はデザイン会社の社長で彼の後援会の会長でもあり東京での個展に案内状ができたから届けに夜中の1時に彼を訪ねたというしだいです。彼も小説家志望で社長業と執筆を両立させていました。彼は画家の友人に会いたくなると夜中でも深夜でも訪ねていたそうです。そんな今どきまあ珍しい友人でした。死んだのは3月で石油ストーブが点けっぱなしテレビの音がガンガン鳴っていたそうです。真夜中でかれは隣人のことを考えてイアホンで聴いていたのが倒れるときイアホンのコードが抜けてスピーカーに切り替わっていていたのです。
その後彼は北海道の彼の奥さんの住む家の物置を改造して資料室をつくりその疲労が祟って病気になり友人の死の6年後に死にました。彼の遺作展を4回やって資金をねん出し立派な画集を出し資料室をつくり彼の後を追いました。そういっても過言ではありません。今時こんな男の友情はまあ稀でしょう。画家が亡くなったあとその友人と知り合ってパリの我が家に2回ほどきてすっかり仲良くなり引き揚げたあとは2ケ月に1回きてくれました。県内のデザイン協会の定期会合が隔月に福島市と我まちであり我まちである時は寸暇を縫ってきてくれました。彼のオルガナイズで福島市のデパートで大きな個展をやってもらい県知事がきて大作も買ってもらいました。
これからますます仲良くなれるとおもっていた矢先突然亡くなりました。彼が生きていたら何らかの支援はしてくれていたと思います。彼も今の世の中には珍しいこころのある人間でした。
私も31,2歳のころ人生の友を亡くしました。いつでも彼との場面が目と耳に再生できます。彼は「岩谷君は行動しているときが一番生き生きしている」とよく言われました。私に沈思黙考は合わないようです。今は行動力も無くなって最低の境涯なのかもしれません。
どんな人間も老いにはなかなか勝てません。
気がついたら仲のよい会ったら7,8時間あっという間に過ぎる友人は皆鬼籍に入りました。
日本はタテ社会どこかにそんな優劣高下意識があるものです。しかし稀にはそんな意識がみじんもない人間がいます。私はそんな人間しか親友にはなれません。大先輩で人間をヨコの人間性としてしか見ない人がいます。それはメゾチントの大家浜口陽三先生です。彼も学閥、地縁、人種などより人間性の付き合いを基本に置いた人でした。実に魅力的な人でした。
人生は終わったというのが私の偽らざる実感です。
でも人生の最後の最後神さまがビッグプレゼントをしてくれないとも限りません。