私の所に振り込み詐欺が今朝舞い込んでいました。パリに35年住む同業者の友人に成りすまして彼が旅行中で健康を壊したので金を振り込んでくれという内容でした。日本語でなく流暢なフランス語ですぐわかりました。一度も2年くらい前あったと記憶しています。まあこんな程度に引っかかる在仏日本人はいないと思います。でも外国在住と国内在住の人間関係まで手をのばしていることはわかります。日本人が絡んでいるでしょう。世界中で楽して金儲けたり自分のセックスの一部始終を配信して楽しんだりと引き籠りがいるかと思うと自分をさらけ出す露出狂とかえってインターネットやスマホなどが発達して人間の混乱が透けて見えます。情報の媒体の発達により人間の平静さがこれからますます破られどれが正しいか正当か誤りか人間を駄目にするか特に子供たちは判断が難しいでしょう。小学生がそんな出会いサイトを平気で見ていたり今はコントロールされているのか分かりませんが。

科学やテクノロジーの発達は世の中に常に功罪相半ばするというのが私の考えというより信念です。世の中便利になって人はよりイゴエステイックになったことは確かです。人に与えなくなりました。与えなくなって貯めこんで幸せになったかというとむしろ逆です。ますます世の中が不透明で分からなくなっています。

あの手この手と詐欺の手口も老獪になって老人はひっかかります。それだけ皆金を持っているようです。でも身内以外にはびた一文出さない人が多いです。身内だと理性が吹っ飛ぶのかも知れません。

こんなに引っかかるのは日本人がダントツではないでしょうか。

日本人は努力してこれだけ稼いで貯めたのです。しかし友人や隣人と会食もせず何かつまんないです。

私たちがフランスに住んでいた当時は月1回はフランス人の家に招ばれ1回は日本人同業者の家などに招ばれ1ケ月半に1回誰かを家に招んでいました。そして年に3,4回は安い中華レストランで会食し私は3年に1度くらい7,8人世話になっているフランス人を中華レストランに招びました。夫婦では精々ピザやクスクス(アラブ料理)の店に行く位で寿司の好きな南ア連邦出身の私のコレクターが年1,2回寿司屋に招んでくれました。自分たちで寿司屋には夫婦では年に1回あるなしくらいでした。メインはお互い家庭料理でのもてなしでした。そしてたまにはみんなでたとえばシャルトルなどにピクニックに行きました。大抵は食事持参でした。まあ時代もよかったのでしょうが特に1970年代は皆希望に燃えて楽しかったです。お互い貧乏でも希望がずっと上回っていましたし若かったです。皆20代のおわり私と家内は30代後半でした。腎臓の病気も姿を現わさず人生で一番よい時代でした。

ベルグマンの「野イチゴ」にも老いた主人公が叙勲されその授賞式にでるため息子の嫁の運転のクルマで首都にいく物語で途中若かりし頃のことを思ひ出すシーンが沢山でてきますが世界中の誰にとっても老いると人生の悔恨などが思い出されてきます。私にはその時その時で目一杯病気と闘いながら精一杯生きてきたので選択の余地はなかったので悔恨は少ないです。本当に運がこの危機を乗り越えさせてくれたと思います。大運は無くとも小さな運の鎖の連鎖が私を救ってくれました。今こうしてだんだん生きる意味が無くなってくると日々空しく感じます。そこをどう乗り切るかが課題です。

晩年マザーテレサが若い時のようにキリストの臨在を得られなくなって苦しんだとあります。解説者は神は世界の摂理を通して臨在を感得するしかないのに彼女はキリストの臨在を求めたことが誤りだったと言っています。キューブラー.ロスにしても求道者の最後は神が何も答えないことに対して再び神を疑って苦しんだひとが意外といます。

私は神は求めませんが自分そのものが大自然の摂理に合うように無理しないで努力したいと思います。どこか人間の社会が眉唾に思うのが生まれつき備わっているようです。