岸恵子さんもN.Yに20年滞在する社長もいってましたし、最近パリコレで人気を博したデザイナーの人もいってました。それは日本人がいやに敬語を使い過ぎることに日本人がワンパターンで平板で奥行が無いと言うことです。私もブログで何回か書いたことがあります。それは全て根底に忖度という習慣があり相手の気持ちを悪くさせないという気遣いが全て日本人を思考停止にし習慣的に訓練されたワンパターンの鋳型人間、金太郎飴を量産しているメカニズムだと思います。まともな議論ができません。そして常に根回しをして会議する意味が無くなります。日本の識者が口を酸っぱくして言わねばならないのに、結果日本人の思考停止になってしまいました。思考と議論の訓練を小さい時からやっていないと国際会議で黙っているきり能がなくなります。会議終わってから文句言っても時遅しです。私が日本に戻って20年歳を取ったのが最大の理由ですがそれでも元気が無くなったのはそういった生き生きした雰囲気が日本に無く絵画に関してもまっとうな議論も無くむしろ昔より古臭くなっています。欧米でも新しい動きがないので従ってモデル、ひな形がないので元気がでないのかも知れません。そして絵画をじっくり思考する風土が無くなってしまったのかも知れません。すべてのジャンルでおかしくなっているのに批判や手をうとうとする識者がいないのは一体どうしたことでしょう天皇が退位されました。即位されていらい30年象徴としての天皇を自ら思考し実現されてきました。大変なご苦労だったと思います。しかしお二人におんぶして安心し親密感を抱いただけで済んではいけないとおもいます。国民自らも日本という国をどう発展させ世界に抗して自立して役割を果たしていくかを思考していかなくてはお二人も心もとないでしょう。日本にはノーヴレスオブリージの精神が無くなってしまったようです。それはヨーロッパでは騎士道精神、日本では武士道と言えるでしょう。何回も言いますが日本が島国で独特の文化を育み日本独自の心理の均質化を図ってきたことは世界がまだ今日のように国際化する前だったら日本という島国内で仲良く生きていくには効率よいやりかただったでしょうが今は日本だけでは一日も生きていけません。やはり均質化されたガラパゴス的思考のパターンを国際基準に変える努力が必要です。私が30年フランスに居る間常に意識していたのが日本人と欧米人が根本のところでどう違うかということでした。残念ながら私の語学のレベルでまともな議論はできませんでしたが議論を深めていく思考の徹底さを学びました。私が人生は所詮「無」だというとそれでは無とは何かと迫ってきます。それ以上の語学力がないのでそこで終わりです。しかし私の作品を評価してくれ私の理解では欧米人のメゾチントにおけるたとえば静物画の黒のバックは単なるバックにしか過ぎません。しかし私の場合黒は単なるモチーフをひきたたせる黒ではありません。物がその黒の世界から現れそして再びその黒に溶け込んでいく融通自在の空間なのです。そういった黒の豊さを欧米人の版画家はまったく理解も演出できません。やはり東洋の墨の伝統がその深い思考を生んだのでしょう。
これは私が気が付いたことですが少し禅を学んだことと関係があります。たとえば私の作品に太陽が半分水平線から姿を現す単純な構図の作品があります。その太陽をじっと見つめていると太陽と己が一体化して太陽を見つめているのか太陽にみつめられているのか分からなくなります。それがとても気分がいいのです。こういう作品が生めるようになるには40年かかりました。2,000年の作品ですから19年前です。私のメゾチントという技法は西洋のものですがそれに東洋の哲学を加えたと思っています。これはメゾチントの大先輩長谷川潔、浜口陽三両先生が発見された黒の東洋的意味を私は更に進化、深化したという自負があります。世の中では認めていませんが。今は認めてもらおうという慾も希望もありませんが私は自分で発見した世界と思います。
今の日本は私のように本当に地味な仕事を営々とやる作家が必要と思います。それで報われなくとも信念に従って一生を捧げることがやがて日本のためになると思います。天才が花開くにはピラミッドの底辺の無数の作家が必要です。私が発見した大切なものが日本人から失われつつあります。世界は有の世界だけで成り立ってはいません。無は有を支える見えない建築の基礎のようなものです。人間もその無こそが存在を支えていると思います。