昨日は1時間以上も掛けてブログを書いたら珍しく終わり頃消えてしまいました。大抵は復元できるのですが消えてもどりませんでした。大昔ブログを書き始めたときはしばしば消えがっかりしたものでしたがこの頃は消えても文章の勉強をしたと思ってがっかりしないようになりました。昨日は黒沢、溝口、小津の作品を日本、アメリカ、フランスなどのフィルム研究所でそれぞれに古いフィルムを1枚1枚丁寧に修正しそれをデジタル化して作品を全く新しく蘇らせそれを12月NHKが4Kと8Kで放映するに先立ってこの三大巨匠について2時間にわたってありました。黒沢作品は羅生門、乱、溝口作品は雨月物語、山椒大夫、曽根崎心中、小津作品は東京物語、浮草と最近ずーっとテレビでもこの三大巨匠の作品は見られなかったので大変興味深く見ました。昭和27年のベニス映画祭に羅生門は正式に日本代表にはならなかったのですが日本に留学して帰国して映画界にはいったイタリアの女性がベニス映画祭に関係していて私費で黒沢の羅生門を招待しそれがグランプリとなったという経緯を聞いて作品の質とこういった陰にこのような女性の力があってなされたことに映画の神さまがついてくださったとその僥倖に感動しました。いつも私は文脈が飛躍して対話の相手に時として批判されますがわたしの内部では飛躍してないのです。昨晩おそくニクソンのウオーターゲート事件の全貌をやっていました。最後にコメンテーターがいってました。その当時はアメリカの司法関係者も国民もジャーナリストも真実を求めてこの進行を応援していたが今は政府の見えない圧力に屈し国民も真実追求に燃えなくなり状況が変わってしまったと言っていたのが印象的でした。私が言いたかったのは羅生門を自費で招待したような公正と世に隠れた傑作を出そうという純粋な情熱が現代では無くなったということと司法、ジャーナリスト、国民の真実を追求する熱と真実を求める心が無くなったということが人間の質の低下と並行した現象と言いたいのです。今も現役の映画監督たちはこの三大巨匠の作品を尊敬しそれを目標にし超えようと考えていますがそんな傑作が出ないのは社会のテンポが速くすべてが目先の利益を求めるようになってそこそこの作品で日常が回転していく人間の質の低下が避けられないシステムになってしまいそれが唸りを上げていってるので個々人がどうしようもないのです。溝口が野外での撮影のとき図らずも雪が降り始めたそうです。助監督たちを除いてみなバスに退避したそうです。溝口だけが雪の中残っているので聞いたらここにこのまま居て撮影の雰囲気と気持ちを中断させたくないのだと言ったそうです。雪が止むまで4時間助監督たちが溝口の周りに囲いをつくったそうです。彼はまた撮影中トイレにいくののも惜しく後ろに尿瓶を置いてそこでやったそうです。彼はまた俳優には決して演技指導はしなかったそうです。本人が何かをつかむまで待ち彼が満足した時本番となったそうです。昔の棟梁は年3軒も請け負えばそれを丁寧に作りました。今は月5軒ぐらい請け負わないとやってはいけないでしょう。社会の在りようが変わればすべてが変わるでしょう。それでも私はパリの30年は何事もじっくり構えてやって来れたと今大変貴重だったとまたラッキーだったとしみじみ感じます。もう黒沢、溝口、小津のような作品は生まれないでしょう。私のようにゆっくり生きたメゾチント作家もでないでしょう。パリもすっかり様変わりしたと言います。ニクソンの人間性など生の声を聞いてあの頃からアメリカの大統領も聖書に宣誓しても嘘をつくようになったのかと思います。そして人間が真実を追求する精神を失い始めたとおもいます。若者が大人の社会に反抗して社会を良くする運動も無くなってしまった、これは知らず知らずに人間に絶望している姿なのかもしれません。もうそろそろ私のブログも終わった方が良いかも知れません。ただ書くことによって自分が元気になるからしてきましたがそれが空しいと感ずることも多くなってきました。朔太郎の最後の詩は行く雲を見ながら1杯のビールを飲む自由という自由で空しい心境と重なってきました。