昨日は久しぶりに5年前まで家から5分のところにあるプロテスタンの教会に住んでいた牧師でない長老夫妻の友人がいました。しかしご主人は大震災の翌年リンパ癌でなくなり奥さんは93歳の義母とくらしていましたが2階の住居に上がれなくなり埼玉に引っ越していきました。近くの市の公園に8年いた当時72歳のホームレスをこの奥さんと生活保護をもらおうと一緒にうごきました。そのあと1年足らずで埼玉に引っ越しました。以来月1回の交信と年に1回くらい我が家にきてくれています。今回もひょっこり現れました。最近は来客も稀でつもる話に花が咲きました。最近いわきの同業者も来て歓談でき最近気が沈みがちでしたが昨夜夢をみましたがその内容が明るいものでもしかしたら鬱状態が終わったかな或いは友人のせいで一時的に元気になったのかも知れません。今日もアメリカのハイスクールで銃による殺人があり10人が死んだと、昨夜もレストランで一緒に食事をするはずだった家族を包丁で刺し女の子が死んだとか殺しにストッパーがかからないかの如くの殺人が頻発しています。いつも書いてるように人間の内部が、人間の基本的な中心が崩壊していることがわかります。
昨日のクリスチャンの奥さんとの会話にもその話がでました。とにかく普通には考えられないことが起きるのです。昔よりそれでも大学の運動部の不祥事は格段に少なりましたが。嘗てはオリンピックは素人の祭典でしたが今はプロ中のプロの祭典でお金が莫大に動きます。本来大学の運動部の目的は運動を共にすることによって一生のよき人間関係をつくり社会に出て活躍できる体力を養いフェアーな精神を育成するなどでしたが今はプロの前段階といってもいい位プロ界とつながっています。皆オリンピックへと収斂するようです。それだけスターは金がはいるようになって周りも潤いスポーツと金はイコールになりました。世界は巨大な金以外は目もくれないようになりました。とにかくかつてのアメリカンドリームが世界の野心ある人たちの夢になっています。こういうシステムを誰がつくったかそれはスターの陰でやはり巨大な利益をあげられるからでしょう。またこの人間界に本当の理想が無くなったので疑似理想をつくらなければ庶民の安定が保てないからなのか結果こういう文明になりました。私は美術を58年やってきて今のスター社会の弊害はたとえばピカソや国内では文化勲章をもらうような画家だけが桁違いな金で取引されていますがスターダムに乗らないすぐ脇の画家との違いなんてごくちょっとなのです。或いはスターよりそんな画家のほうがより優れている場合だってあり得ます。現代美術の最大の欠点は作品が美術本来の価値とずれて美術史的に位置づけるためにコンセプチュアルな価値によって評価されるという作品に蔵する本来の価値でなくなっているところに私は過ちがあると感じています。そして美術評論家も作品よりもその作家がどう位置づけされるかという興味が先行して作品をないがしろにする傾向があります。私は以前にも書きましたが高松次郎がグランプリをもらった「それ自体遠近法を持った椅子」という意味の題の作品、これは観念の遊びで一般的にコンセプチュアルアートは一面的思考と思います。作品が人間と関わるものだとしたら人間のトータルを表現しようとしなければならないでしょう。この高松次郎の作品が時間を超えて何か新しい精神を与え続けるかといったら私にはNO!ですもはや新しさはなく骨董的作品でしょう。私は良い例がないので彼の作品をやり玉にあげましたがたとえば麻生三郎の人物など塗り込めた絵具の時間の中に彼は彼の「人間」を生成させているから長い観賞に耐え得ると思います。こういった作品を観賞する力を涵養するのが美術の効用でこういった努力を評価しなくなったら絵画も文学も意味をなさなくなるでしょう。
美輪明宏がいったように今の音楽は強弱はあってもメロデイもハーモニーもないといったように一面のone conceptだけの表現は現代の強弱の音楽のようではないかとふと思います。人間を観察するのに髑髏と骨だけでは表現とはいえないでしょう。骨組だけで建築とはいえないと同じです。如何に肉付けするかそのための感性を磨くために時間が必要でしょう。現代はこういった思索の時間をかけたうえでできる作品は評価され難い時代になりました。そしていたずらに人の目を驚かす作品に関心があつまります。現代人はスマホに乗っ取られて個人特有の時間はどんどん失われて何かを見つめることはできなくなって換言すると「己」が消失してしまった。こういう根本がなくなって今の美術の状況も醸成されるのかも知れません。もう考える事が何かに乗っ取られているようです。私の友人でもある版画雑誌の長年の編集長が「日本の美術界がおかしくなっているので65歳になったがもう少し頑張ってみます」と数年前言ってました。
この怪物から逃れる私の戦略はより簡素によりプリミチブにより本音でよりアウトサイダーに、とにかく社会の価値観と反対を行くそうしているうちに少し現代文明の非人間化から逃れられるかなと考えています。甘いかな。とはいってもその時代の思考の枠組みから逃れることは至難ですからその枠を先ず知らなければならないでしょう。私はその枠とは金銭的価値でこの金科玉条から人類が逃れられないということ、そこからあらゆる分野のスーパースターが押し出されるのです。そして我々が見ることのできない仕手たちがどんどん情報的に小さくなっている地球を操っていると私は考えています。とにかく世界の現実を感じそして考えるしかより良く生きることはできません。私は小さな人間ですので日々「金」に負けないように心掛けています。とにかく私は書くことによって辛うじて元気になり日々生き切っていこうとします。どうやら鬱の霧が晴れそうです。