今日は家内の83歳の誕生日です。今のところ私より体の故障は無く有難いです。ただ私よりは物忘れが多いといった程度です。
今朝5時半の1階のアトリエの温度は丁度10℃でした。結構ひんやりでした。今日は20度以上あがるような気がします。春たけなわ
の筈ですが不順でそういった気分にはなれません。今も厚いセーターを着込んで椅子には電気の暖房を入れています。今日は額装や印刷でちらかしてあるアトリエの大丸テーブルの上その他を片付けねばなりません。ちょっと仕事をするとかくもいろいろ出さないとできないのにびっくりです。この18坪のアトリエも1999年に帰国してから8年ぐらいかかって基礎ができそれから少しずつ完成したものです。しかしもうフルに使うことはないでしょう。さびしい気がしないでもないですが82歳まで細かい仕事をなんとか続けてきましたので限界は近づいても致し方ないでしょう。ところがついさっきコタツに横になってあら不思議大作のイメージが湧いたのです。それは画面中央に私が横たわって回りは20,21世紀の代表的なできごと、原爆投下、ジャングルでの餓死する兵士、最近の異常な殺人、昨日書いたゴミの山の中の少女、地域の戦闘、難民などが渦まいている私の絶筆にふさわしいテーマです。私自身右手を手枕で頭に当てがい恰もブッダ涅槃の図のようです。「私の20,21世紀のアッサンブラジ」とでも副題をつけようかと思いました。実際やる気力があるかは分かりませんがこういうイメージが突如湧いたことはまだ脳のどこかで最後の力を振り絞ってやらねばという意志があるようです。私は60歳直前の1年間このままいったら作家人生終わりだという強迫観念に襲われていました。長い間心の奥にしまっていたキリスト磔刑の20世紀版をこの際すべてをなげうってやってみようと決意して13ケ月掛けてキリスト磔刑三面作と真ん中の磔刑の部分だけメゾチントのその時までやったことのないモノクロの大作に仕上げました。その時力を出しきってなんとか再生し60代を乗り切っていましたが家内の精神の危機を考え突如63歳の時1ケ月の熟慮のすえ日本に引き揚げることにしました。周りもびっくりしました。しかしそんなこともあろうかと1995年から5年間毎年パリ7ケ月、故郷で5ケ月制作を続けていましたので引き揚げて環境の変化のギャップによる中断は全くありませんでした。多くの先輩で長くパリに居て帰国すると丸3年は仕事ができないとよく聞いていました。そのことがいつも頭にあり作戦を練っていました。でも完全に引き揚げて5,6年たったころまたこのままいったら駄目になるという危機感に再び見舞われそこで思い立ったのは70歳のモニュメントに「被爆の聖母子」を油絵と版画で作ろうと思い立ちました。これは半年かけただけでした。それで何とか立ち直れました。私は本来絵描きの素質はなくどこかで無理をしてやっているのかも知れません。ただ平均的素質があると思えるのは常に人の顔を書くのが好きです。人間の顔とくに社会から疎外されたホームレス、アル中、大道芸人などのスケッチです。日本に帰ってからはそんなモチーフは日常的に無いので病院の待合室での人物、また好きでない風景を描いています。どうしても彫りの深い顔立ちと個人主義の生き様による外見に現れる外人の表情に惹かれます。しかしもうそんな環境から19年がたちました。日本に持ち帰った100冊ちかいはがき大のスケッチブックを見てはコピーというよりはアレンジして何回も使います。今もしパリに1ケ月滞在してもこのような感興は湧かないかもしれません。自分がそこで呼吸して底にある孤独の目で見て描いていたと思います。旅行者の目では楽しく映るかもしれません。旅行で来た大家のパリスケッチを見ると楽しいです。とにかくこれからも安いスケッチブックにできるだけ顔をスケッチしたいと思います。先日250枚入りのハガキ大のスケッチブックを完全に終わりました。それが役に立とうが立つまいが面白いからやります。テレビを見てるとき後姿や薄ぐらがりでの俳優の名を当てる遊びを一人でやりますが名前は分からなくても8割はあたります。声姿の特徴を覚えているからです。これも平生スケッチをしていて人間を観察しているからでしょう。とにかく何かに夢中になることは何かにはなっているということです。
このごろ年寄になって自分より若い同業者の私の歳になった時をすごく心配するようになりました。私が10歳若かったときは今の現実を全然想像できませんでした。老の現実は本などでは書かれているのでしょうが実際人から知らされることは全くといってありませんでした。今、日々その現実を味わっています。老人現役です。