考えた末太極拳を止めることにしました。レントゲンでやはり軟骨が減っていてそれが神経に触るのだろうと診断され運動してもっと痛くなったら大変なので決心しました。始めるときは90歳までに老人に教える資格をとると公言しましたが痛さには勝てません。毎回必死にやっていて無理になっていたと思います。家内などは本当に無理しないでやっていたので2時間の練習でちっともくたびれませんが私は午後なにもする気力が無い位疲れるときがあるくらい必死でやりました。それが痛みを招いた原因かもしれません。今までぎっくり腰は何回もやっていても神経の痛みは初めてです。もらった強い鎮痛剤を飲むと体が冷えて何もやる気が起きないので服用をやめ鈍痛を我慢しています。それでも自転車には乗れるのは幸いでリュックを背負ってこまめに買い出しをします。つい最近91歳の家内の義兄が夜中座って大声をあげたので病院につれていってそのまま入院今は老人ホームの空きをまっています。そして流動食になりその内胃に穴を開けられるのではないかと思います。去年亡くなった高校の同期生でパリに17回来てくれた友人も肛門ガンで手術し喉に穴を開けられその1週間後に胃に穴を開けられた1週間後に亡くなりました。病院側も手がなく流動食や点滴を余儀なくされ入院したら最期現代医学の医療システムに組み込まれ人間性をはく奪されどんどん脳も老化してあの世行きとなります。入院しても1ケ月以内に昇天するのが理想でしょう。昔のように子、孫に看取られて家で往生するのが一番です。今は子とその配偶者は働いている場合が多いのと子と親が離れて暮らしている場合が多いので病院や施設に頼らざるを得ません。現代で大往生をするひとはほんの一握りでしょう。「死」は大仕事です。私の場合70代の時は老の現実が分かりませんでした。今年82になって体の変化が今までになく感じまた体に現れてきました。老年には老境という高い境地を夢みてましたが、まだ白隠禅師のいう意地が悪くなり、鼻水をたらし、怒りっぽくなるetcにはなりませんが高い老境とはおよそかけ離れています。ただテレビや実際公園などで若い家族がピクニックに来ていたりおばあちゃんと小さい孫が歩いているのを見てこれこそが幸せというものだとこころから思います。平凡な日常にこそ幸福の鍵があると思うようになりました。こんな考え今まで強く感じたことはありません。幸福は人とのつながりにあるのだとしみじみ感じます。幸福であってもしみじみ感ずることはなかなかできません。そしてテレビなどでいろんな人のことたとえば先日書いた石牟礼道子氏、「これが人間か」を書いたユダヤ人強制収容所の生き残りプリモ.レーヴィのことなど世の中には人類の苦を背負って一生をささげた人、そこまでいかなくとも一生苦を避けないで耐えたひとなどどれだけいるかということに感動します。だからこれだけ人間が混乱し自然が破壊されても世界はなんとかもっているのでしょう。それは何があっても人間は健全さを維持できるのでしょう。今から1,2年後私はどうなっているか分かりませんがどんどん人生にたいする考えと印象は変わるでしょう。「光陰矢の如し」これはますます真言であることが身に沁みます。