昨日は一日掛けて小品4版刷り作品を3枚刷って2枚良い刷りができました。最初の刷りを2時間掛けて修正し昼休みを2時間とって午後2枚刷ったというわけです。作品というものは最初の下絵のできが最期まで付いて回りどんなにそのあと努力と修正を加えても感心する作品にはならない場合が殆どです。今回もその例に漏れず苦労しても満足のいくものではありませんでした。2年前呻吟して中断していたものです。わが版画人生こういうことはしょっちゅうで20作に1作まあ感心するのができるのが今までです。これから傑作ができることはおそらく期待できないでしょう。頭の中のポエテイックなものがどんどん無くなっていくからです。脳の宿命かもしれません。
先日友人の弟の写真展の案内をもらってやっとのことで最終日にいってきました。彼は引退後から写真を始め今77歳で18年専ら風景を撮っていて素晴らしい作品にびっくり」しました。しかもアナログ(フィルム)で撮っているというのです。今日ほとんどの写真家はデジタルがおおいのではと思っていましたがこういう人も案外まだいることがわかりました。いろいろフィルターを使い分けしているとのことです。写真の世界と私の年に何点もできない銅版画というジャンルでは時代のスピードに合わないことは一目瞭然です。それでも続ける価値があるとすればそれは手業という心の投影である対象を目と手の連携で再現することに意味があるということに賭ける事かと思います。最近友人から頂いた画集、作者は長くスペインで制作しすでに亡くなった作家です。彼の作品は「生」あるものの中に「死」と「無秩序」を見それを表現することに全制作を費やしました。彼は自分の傷を深めることをあえてし制作自体楽しいことはないといっています。今時まだこのような作家がいたということに驚愕します。私の場合は仕事が佳境に入って時間が存在しなくなるような時間を求めています。いわゆる三昧境を求めています。ところが彼は宇宙はエントロピー増大に向かっているという現実をすべての現象のなかに見つけようと全力を傾けました。すごい作家ではあります。彼はスペインにいなければそれは見つけられなかったでしょう。日本という美しい自然の中では彼の精神は開花できなかったでしょう。私自身日本の風景を描きたいとは思いません。そして富士山にあまり惹かれません。やはりヒマラヤなどの山々に神を強く感します。パリに行ってそこに住んだからこそ私はやはり開花したと思います。ホームレスやアル中を年中見ていたことが人間を考えさせる大きなきっかけになったことは確かです。
日本に戻って19年日本という社会が思考停止になって空回りをしていてそれを国民が分かっていても現実にはどうしようもない状態です。アメリカの傘の下の72年の間に思考停止になってしまったとみています。雑文化が日本の表層を厚く覆ってしまうと本当に命ある血の通った精神の存在そのものが見えなく感じなくなってしまいます。
今日は昨日立って印刷をしたこともあり腰の痛みがぶり返しました。このまま横になっていたら一日そのままで過してしまいますので自転車で1.5㎞にある食品店の卸しもやっているところに買い出しにいってきました。リュックに7キロ位買いました。この頃は脚を使ってなかったのでかなり疲れました。午後は何もする元気がなくごろごろして過しました。神経痛になる直前までのような元気がもどるのかまた太極拳が習えるのかちょっと心配です。何かあっと言う間に体が老化するので驚いています。
午後テレビは中国の歴史を3時間位やっていました。19世紀の太平天国の乱についてもやりました。農民出身の人間が30代半ばから13年で北京を除くあらかたを支配した民衆蜂起があったことにびっくりしました。日本ではこのような規模の農民の蜂起はあり得ません。中国は何が起こるか分からない力を秘めています。孫文もこの太平天国の乱の影響を受けて成長しました。そして初代総統になりました。これから日本は強大になる中国とどう付き合っていくか本当に大人になることを要請されるでしょう。幕末維新時のように目覚めることが必要でしょう。文化で平和を維持するのか国民の自決が要請されるでしょう。このままの人間の意識と消費文明では早晩地球上の人間は生きる困難に直面するでしょう。
私にとっての闘いは今日できたことが明日できるかその連続でしょう。そんな中で人間が残してくれた未来につながる見えにくい遺産をできるだけ発見したいと念じています。生きている限り「命」が何であるか感じたいです。