鈴木大拙先生の最晩年の秘書をやって先生のお世話も最後までやっておられた岡村美穂子さんのお話を聞いて私なりに禅の目的を解釈してみました。人間を除くすべての存在物は一元性の中で存在しております。ところが人間だけはあるとき意識をもち己と他を分けて考えるようになり自己と世界(他者)を分けて二元論で考えるようになった。座禅で「無」を体得する目的は二元性の元になった己のエゴを消すこと(無の体得)によって一元性に戻るということと考えます。それは又宇宙に存在するすべてとつながる(連体)の中の個として対立するエゴを消し去ることが究極的に求めるものである。それは自他一如であり宇宙即己であるということです。人間のエゴ特に近代的エゴは肥大しているので一如にいたる道は生易しいことではないでしょう。大拙先生が一生かけて努力したことは西欧が推進した近代社会の根底を修正しないことには人類が大変になると言う危機意識がさせたのでしょう。この彼らによって発明し推進した文明は人間の自然な進化を完全に人間が発明した科学とそれに付随したテクノロジーによって人間の力で進化を推進する道を選び神の楽園から追放されその楽園を人間自ら実現しようと決心しました。それは着々実現しつつあるかに見えますが神の楽園と違うことは欲することが瞬時に実現しても人間そのものが幸福と安心を得られないということです。むしろ遠ざかっているとも言えます。これは現行文明が理性によって創られたから従って二元論的思考の産物だからでしょう。一元的思考によってつくられたなら宇宙との連体意識が根本にある故に遅遅としか進化しないが自然の破壊が殆ど起こらないだろうし常に大自然と一体感の中で安心と幸福でいられたでしょう。現行文明は「毒は毒を持って制す」であくまで「有」と「有」との関係の文明でとことんカスが増え続ける文明でしょう。人類の歴史を振り返ると行き詰まったときは常に過去を振り返って再生をはかってきました。近未来人類が労せずして生きる時代がきたとき(ある意味で楽園回帰)生きる意味を探さなくてはならなくなるでしょう。デカダンやニヒリズムに陥ることなく意義を見つけられるだろうか。
わが家では緑茶はミルで粉にしてお湯を注いで飲みます。もうかれこれ20年くらいになります。それは経済的でありお茶に含まれるビタミンC、葉緑素、カテキンが丸ごととれるからです。平生急須で出すお茶の消費の1/4で間に合います。普通急須でふんだんに出していたら100gr入りの袋は1週間で無くなります。しかしミルでやれば1ケ月はもちます。我が家ではまたコーヒーを毎日のみますが焙煎した1キロ入りの豆を¥980で買います。それを家で電動ミルで挽きます。その直前にフライパンで少し炒ります。それから挽くと20パーセント味が向上します。おそらく1キロ入り¥980はわが街で一番安いコーヒーでしょう。しかし結構美味しいです。私はできるだけ金を得るために人間と社会と競争しないようにしています。生まれつきそう言った喧嘩しない性格でした。ずーっと隠遁的生活でした。パリ生活当初は闘いましたが画商がついたとたんセールスを止め仕事に没頭しました。最低食えればいいと思いあとは自由な生活を第一にしました。老後のことも何も考えませんでした。家内は私に輪をかけて将来のことは考えませんでした。彼女の父親は55、母親は49二人ともガンで亡くなったので自分も60までは生きられると思っていなかったそうです。でもあっという間に二人82になりました。想定外といったところです。今年に入って老化が急に自覚されあわてています。もう少しあわてると新しい諦めの境地になるでしょう。そうするとしばらくあわてずに済みまた老化が来てあわてまた平衡に達しすこし安定しやがて動けなくなりご愁傷さまということになるでしょう。意外と早く来るのではと時々思います。