今朝は3時に起きまずミルク紅茶と食パンにチーズを乗っけて焼いて食べてから実に久しぶりに買ったジャスミンテイをメガカップに入れ3階屋根裏に上がって全く珍しくタバやん(田端義男)の「帰り船」をかけて今パソコンに向かったところです。私は田端義男、淡谷のり子、デイック.ミネが好きです。淡谷のり子は戦争中戦地の慰問のとき派手な衣装や濃い化粧など芸人が自粛するムードがあったそうですが彼女だけは派手な衣装と口にルージュをつけてでることを躊躇しなかったそうです。その答弁は「歌手にとってこの衣装と化粧は兵隊さんの戦闘服なのです」と一切妥協をしないで通したそうです。彼女は妻帯者で愛する人との間に娘をもうけました。彼女は明治の上村松園を彷彿します。また淡谷のメーキャップは近くで見るとコワいそうです。でも舞台では映えるわけです。東京音楽学校では10年に一度のソプラノと言われたそうですが流行歌の世界に入って歴史に残る歌手となり晩年は人生相談も誌上でやっていました。私は美空ひばりは大衆歌手として素晴らしいと思いますが私の好みとしては淡谷がすきです。先日久しぶりで上京した際場末の小さな中古のレコード店で田端義男の5曲入ったCD2枚と淡谷のり子、これは新ピンでしたを買いました。淡谷はパリ時代テープを買って聴いていましたがそのテープの音が消えました。ダミアのテープも音が消えたのでその内CDを買おうと思っています。私がこの頃うんざりするのは五木ひろしです。あらゆるチャンネルを牛耳っていてあの顔と歌い方に辟易しています。私は今おそらく孤独であろう森進一が好きです。かつて水商売の女性が彼の歌に涙したと言われます。朝は大抵グレゴリー聖歌を聴いたり冬はバッハのヴァイオリンのパルチータや友人のモダンじゃズの禅味がかったベースのソロを聴くことから一日が始まりますが今日は例外中の例外タバやんから一日が始まります。彼も子供時代から苦労しました。父ににげられ母は大変苦労し家賃も払えなくなると大八車を借りて来ては夜逃げそして食事のおかずは決まって紅ショウガ、小学校4年くらいから丁稚小僧に出され同じ歳の主人の子をなぐってお払い箱になり次は和菓子店の丁稚そこでは主人が和菓子は数えてあってチョロまかすことができないが餡だけは唯一チョロまかすことができたそうです。そして苦労して人気歌手になり母が死んだとき棺桶には花の代わりに紅ショウガを一杯撒いたそうです。人間は苦労すべきかもしれません。私に欠陥があるとすれば苦労をしなかったことかも知れません。やりたいことやって結婚しても家庭内では帝王として君臨してきました。そしてこの3階屋根裏は王国でありエルミタージュ(隠者の聖所)です。ヴィクトール.ユゴーの「ノートルダムのせむし男」のポルト.ド.ミラークル(奇跡の門)を入ると盲人が見えるようになります。私にとってこの3階屋根裏の扉は奇跡の門です。ここは毎日奇跡が起きる別世界で誰も冒すことができません。私が人生の最高の価値は「自由」いやむしろ「自由感」です。「自由」は死を超克しなければ得られません。それはちと不可能に近いです。誰でも「自由感」はえられます。しかしこの日本では「自由感」でさえかなりの努力をしないと得られないかもしれません。自由感とは何かという思考自体をもつことができないからです。からめ捕られてがんじがらめであることが意識できないということです。奴隷が奴隷であることを意識できないということです。「群れ」から「絶対個」に至ることが至難である国柄であります。ちょっと個性的でろうということとは根本的に異なった次元です。今回草間弥生が文化勲章をもらったということをみて日本の文化の上層部にあるものがもう文化にたいする基本姿勢を失ってよろよろ、めろめろしている無様な姿が伝わってきます。日本人がこれほどまでに駄目になった時代はないでしょう。「人間」とはいつの時代にも変わらないスタンダード(規範)をがっちり保持していなければそれは化け物と言うしかないでしょう。魑魅魍魎そのものです。大衆の良識さえ今怪しくなっています。それは端的に若い女性の1/3の体つき、腰つき、脚の座り具合がおかしくなっています。おそらく韓国は今も軍事訓練(ミリタリーサービス)が義務化されているでしょう。日本人に肥満がアメリカ人のように出てきています。やがて中国の植民地になってもおかしくない精神風土になってきています。この国には「人間とは何か」を常に第一におくコンセンサス(国家的了承)がありません。ここにやがて日本が後退する最大の原因があるでしょう。芸術とは何か、真、善、美とは何かそしてそれぞれ人間にどのように作用するのか何故「もの」や「金」より根本であり大切であるかを少なくとも若い時に議論しないと国家はいつの間にか錆びてぼろぼろになるでしょう。敗戦直後ある特攻隊の生き残りで牧師になった人が九段のホテルに泊まった時に靖国神社の千鳥が淵の桜の満開のときに花見客が散らかしたゴミの散乱を見て心から怒りが込み上げてきたと述懐しました。これは日本人の姿(本質)なのです。いくらスポーツで愛国心を歌っても日本人がマザー.テレサに「日本人は心の貧しい」と言われるだけしかないのです。日本人はとことん己を掘って掘って識る努力をしなくては世界で闘ってはいけないでしょう。