先日パリの62歳の画家の友人が7時間ばかり訪ねて歓談したことは書きました。そのとき共通の友人で韓国人抽象画家で今102歳の知り合いが最近レジョン.ド.ヌール勲章をもらったことを話しました。私が彼と知り合ったのは1971年か72年だったと思う。彼は私より22歳上なんてことは今彼が102歳から割り出して今知りました。そのころ彼は57、8歳で独身でした。彼は日本に留学したことがあり日本語をしゃべります。その時から彼は抽象でがんとして抽象を主張していました。彼はどれだけ苦労したのかたまに話したところでは朝鮮動乱のとき北朝鮮にいて母親と許嫁がいたそうです。許嫁は彼に南朝鮮に一人で行くことを勧め小さい漁船で逃げたそうです。その時許嫁は彼女の宝石類を手渡し当座換金して生き延びるように荒波をやっとの思いで乗り切りたどり着き後美術学校の教師をしていて僕らが渡仏する何年か前に何かの国際会議でフランスに渡りそのまま居ついたということです。当時在仏で韓国の世界的建築家の応援もあったようです。とにかく初めて彼のアパルトマンを訪ねたときはその一角が取り壊し中で壁を壊すクレーンで打ち付ける大きな鉄の玉が壁を砕く音がしていました。ほとんどの住人が出てしまった中で老夫婦と彼だけが行く先が決まらず頑張っていました。そんな中で木枠に張らないで壁にキャンバスを釘で打ち付けて描いていました。大作もありました。そんな環境をものともせずひとり生きている姿にものすごい力を感じました。その後も年に2,3回我が家で他の日本人の友人と一緒に食事に招んでいました。彼は酔ったわけではありませんが突然立ち上がり小さな部屋で韓国語で大きな声で歌い始めることがありました。今考えると望郷の念が突如こらえきれなかったのかもしれません。1980年私の大きな個展のオープニングパーテイで5,60人の中で突如大きな声で歌い出しました。後年といっても80ぐらいになって韓国では文化勲章に準ずるような賞と年金ももらえるようになって税務署で作品に税金がかかる話がでて呼び出されたとき大声で韓国語でおそらく乞食のような生活をして今まできて作品にタックスを掛けるとは何事ぞと並み居る税務署員が唖然としたそうです。彼は17年目で初めて韓国に里帰りをしておおきな展示をして一躍有名になり20歳下の一流女子大学をでてジャーナリストをやっていた人を紹介されパリに連れてきました。彼女はフランスでの夫のすさまじい生活その他でかなり精神的に参っていた時期が長かったようです。ばったり市場などで一人でいるとき出会って立ち話をすると「岩谷さんと話すと名医に会ったようだ」と喜んでくれました。そして「薄氷を渡るような生活だ」ともいいました。クルマだったかにはねられたこともありました。先日来てくれた友人の話ではこの奥さん今でも精神的には参る時があるといってました。彼が80代で心臓のバイパスの手術をするときこの友人はフランス語の専門家でしばしば病院での通訳を頼まれたとき80代の彼の身体は50代のひとのように肌艶がよかったといってました。1970年代の知り合ったごろも健康を考えてしばしばヤギの脳など自分で料理して食っていました。今でも毎日チーズを食うそうです。ものすごい所で生活して102歳まで生き、ボケて自分一人で椅子から立ち上がれないそうですがまだ元気なそうです。今はパリ市の小さなアトリエに住んでいるそうです。まあ怪物です。彼はほとんど一生自分の金を極力出さなかったと思います。それだけ制作生活を堅持してたのでしょう。私など金があると出していた平凡な人間で彼などと人間のすごさが違います。レジョン.ド.ヌールをもらったからって経済がそんなに楽になっているわけでもないでしょう。奥さんの苦労はもっとたいへんでしょう。彼は昔、韓国では結婚式のとき仲人の挨拶で「夫を神と思え」ということを話してくれました。彼の奥さんは統治時代の国民学校を卒業したのと自分で日本語を勉強し漱石の「こころ」を読んだりもしていました。頭のいいひとです。私は在仏時代もう一人韓国人を知っています。彼は我々より5歳ぐらい上で言語の構造を解析する専門家でフランスから研究費をもらって自分で研究して何年ごとの研究の成果を提出し結果が認められればまた5年間フランスから研究費がでるという生活を送っていました。奥さんは韓国人で声楽家ですが子供が二人いて練習を続けているだけのようでした。彼も優秀で彼が講座ももっていたとき東大の教授も受講していたといってました。日本語の方言の地方地方の違いをコンピューターで解析しました。私は韓国人はこの二人しか知りませんが二人とも日本人に勝るとも劣らないすごい沈着な人間です。サッカー、柔道、剣道でさえ人口の割には強いです。これはニンニクとカラシによって強壮な体と精神、それに常に中国からの圧迫の中で呻吟してこれらの強さを身に着けたと思います。おそらく日本人の淡白さと違った体質なのでしょう。日本は韓国と仲良くすることによって両国が利益を受けるでしょう。日本人はすぐ生理的嫌悪を持ち易いのでそこは重々意識する必要がありそうです。ひるがえって私自身の性格をみると淡白で粘り強さがなく典型的な日本人であることが身に染みてわかります。中国の書が日本にはいると「水茎」となり湿潤な書となります。中国の書はときとしてあの峨峨たる岩山を思い起させます。世界の国々にはそれぞれの個性があります。それを理解するのはたいへんなことですがそれをしないかぎり世界に平和は来ないでしょう。日本人同士の理解だってたいへんなことです。
あらためて102歳のレジョン.ド.ヌール勲章をもらった韓国の友人の画家に心よりおめでとうをいいます。
あらためて102歳のレジョン.ド.ヌール勲章をもらった韓国の友人の画家に心よりおめでとうをいいます。