毎日配信されるfacebookを見ているときりがないほど世界中からのイメージであふれています。そこに感ずるのは珍しい、感動的な、告発したい、くだらないことなのだが人に何とかいってもらいたいなどいろいろだが、世界の人々がコミュニケーションを取りたがっていること、その背景には一人だという孤独感が感じられます。カナダ人のメゾチント(銅版)作家の友人はしばしばモンタージュしたシュール的なイメージを投稿するので写真家なみのイメージだねといったら「単なるインスタレーションだ」といってました。メゾチントという仕事の合間の孤独を埋めるまあ遊びということでそれに対してなんらかのコメントがあるのが楽しみなのでしょう。どうも仕事机の傍にはPCが常にONになっているらしい。めったにコメントは入れませんが入れるとすぐ返事がかえってきます。PCは恰好な元気をもらえ与える媒体でしょう。世界中の人が点で結ぶ革命的な媒体です。スマホも同じ線にあります。この延長上にはやはり世界がひとつの村に向かっていく必然性があることは間違いないでしょう。またどんどん国際結婚は増え続けていくでしょう。時々テレビでもその成功例が紹介され、その陰で失敗例も数多くあるでしょう。少なくとも私の知り合いの例ではうまくいってる例が多いです。子供たちは早くから人種差別の無い教育を受けているので彼らが大人になったときは我々世代よりははるかに抵抗なく恋愛、結婚に入れるでしょう。私がメゾチントの講演によばれて1980年にいったモントリオールの北100㎞にあるアーチスト、詩人、映像作家、音楽家など50人住む村に当時30代の陶芸家の日本人が住んでいました。彼の妻はカナダ人で盲目で娘が二人いました。彼のいうことには目は見えないが意志の疎通は全く問題なく心と心が通じ合い実に快適に暮らしていました。一度お茶だったか食事によばれました。1980年という時代は冷戦時代でしたが自由諸国側、欧米諸国は希望に満ちていました。カナダのケベック洲のアーチストは希望に燃えていて皆大きなアトリエを構えていました。移住したくなるような豊かさとのんびりさをみなもっていました。今でもそうかもしれません。しかし他の欧米諸国同様作品が売れる状況ではないようですが皆仲良く何とか楽しくやっている雰囲気は伝わってきます。人が疎らだと人恋しくお互い歓迎し合うのでしょう。またいって見たいです。そのVal Davidという村にある銅版画の共同のアトリエはパリで知り合ったその村出身の銅版画家がつくったもので今年で創立40周年なそうです。彼は今は別の人間に主宰させているようでその代表から1週間前突然メールで知らされました。その彼をしりませんがすぐおめでとうを返信し創立者の友人は健在かと尋ねたら3,4日たって友人からメールがあって個展をしたばかりで風邪を引いて返事遅くなったゆっくり後日近況報告するとありました。どういうわけか彼との交友は1980年代で終わっていました。他のモントリオールやケベック市の友人とは以来35年つづいています。皆女性ばかりですが。インターネットをやって7,8年になりますが最近どっと長年交流が途絶えていた古い友人が突然コンタクトをとってきます。facebookなどに登録してあるので偶然見つけるのもあるのでしょう。こちらから偶然みつかることも何回かありました。パリ時代初期面倒をみてもらった当時30歳くらいのユダヤ系のCitibankに勤めていた女性は自分のアパートに釘を打って我々の作品を飾って同僚や友人をよんで売ってくれコミッションを1フランも取らずに全部くれ1980年代にフランが高いとはいえ当時の日本円で100万円以上くれました。別のフランス人の素人画家のアトリエを解放した我々の展覧会では150万くらい売れてびっくりしました。1980年代の初頭はフランスもまだ豊かでした。よく郊外のレストランによばれオードブルだけで12種も出てメーンがほとんど食べられなかったこともありました。呼んでくれた50代の友人は健啖家で我々の分計3人分のメーンデッシュを平らげて言うには若い時はこの倍は食べたと。まあ体力、性欲ともに旺盛もむべなるかなとおもいました。昨夜テレビで犯罪捜査の科学検査のいろいろを紹介した大変興味深い番組がありました。その中で被験者が全く覚えていない、でも確実に出会っている人物を検査機器を通すと記憶されていることが証明され、実は被験者が数日前訪ねた建物の中で偶然すれ違った台車を押す男だったのです。被験者は全然記憶していませんでしたが脳は確実に記憶していました。被験者も台車の男の映像のDVDを見せられてようやく思い出しました。人間の脳は本人の記憶しているよりもっと多く記憶しているとのことです。霊能力者などはその膨大な記憶を自由に取り出せる能力があるのかもしれません。あるいは他人の記憶まで分かる能力があるのかもしれません。まだまだ人間が知らない人間の能力は数限りなくあることでしょう。私は書きだすとそれにつられてどんどん過去のことが思い出され手から文章が紡ぎ出されてきます。思考は脳だけが自立してするのではなく手も目も鼻もすべて参加する共同作業ではと思います。。心臓だけがポンプの作用するのではなく毛細血管、ふくらはぎなどもポンプの作用をするといわれます。60兆の細胞はお互い独立しながら全体に協力して細胞一つ一つも生かされています。「人間、この不思議なもの」これを生きている限り探究していきたいものです。人間というものについて我々は実は分かり始めの端緒についたばかりではないでしょうか。そのためにボケ防止には文章書きは最高に有効な手段ではと思います。
































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