昨日と今日とても感動するドキュメントを見ました。一つは第二次世界大戦が始まる直前に ナチがポーランドに侵攻しそこから逃げてきたユダヤ人二千数百家族に日本通過ビザを外務省の圧力にも拘わらずにリトワニアの領事館が閉鎖されるまで日夜を通してビザを発行した杉原千畝という外交官の物語と ミッドウエー海戦の事実を書くために日本人の戦死者三千何百人の遺族とアメリカの戦死者三百何十人かの遺族を一人ひとり訪ねた澤地久枝、今でも自宅の地下室に全記録が残されています。杉原千畝が何故そのようなヒューマニックな行動を官吏であり本部の命に背いてまでできたかという謎に迫りました。彼はやはり暗雲立ち込めるすでにソ連の支配下にあって領事館の閉鎖の日時が告げられた中で彼がこのユダヤ人を助けなければ日本のためにも世界のためにもならないという世界を考えヒューマニズムも考え妻にも相談して決断しました。当時彼には3歳と5歳だったかの二人の娘がいました。彼によって与えられた二千数百のビザは家族を入れると6,000人以上を助けたことになります。それらの人たちは日本で数か月滞在しそれぞれアメリカ、カナダ、南米へと出発していきます。後年その中のリーダー格だった人はイスラエルの大物になって杉原に勲章を授けることになる。杉浦はその後外務省を辞めさせられ、彼の人格、人物が生かされないまま7つくらい職業を変えて一生を終わったとのことです。しかしイスラエルではシンドラーと同じように永久に讃えられています。澤地久枝は何故日米合わせて4,000人近い人の遺族を訪ねてミッドウエー海戦を書かねばならなかったのかをこう答えています。彼女が厚生省を訪ね戦死者の名簿を訊ねたときの答えは一切名簿はなく戦死者の人数があるだけだったそうです。それで彼女は人を雇って直接遺族に会って記録を残したそうです。その当時珍しかったコンピューターも導入して9,000万円の借金迄したそうです。その執念の根拠はお互い憎しみも何もない相手同士が国が戦争をしたために殺し合ってその上一束ひとからげにされてはたまったものではない、国がやらないなら自分がやろうと思ったそうです。彼女が「2.26事件の妻たち」を書いたときもこの事件の陰でどれだけ彼らの妻たちがその後辛い人生を送ったかを知らしめたいといった愛がなさしめたようにミッドウエー海戦の背景には同じ気持ちがありました。これから社会の表面に立つ多くのものがその時だけ人の目を引けばいいというインターテナー的社会でこういった仕事をする人間は彼女の世代限りで無くなる可能性は大いにあるでしょう。教育が国家間の競争に勝つための学問に重点が置かれる今日、こういった人間の業績を学ぶことは人間らしい人間を残すために必須であろう。そして敗戦直前まで軍神と言われた神風特攻隊を戦後犬死呼ばわりしたインテリたちのような人間が出ない教育も必要でしょう。敗戦後70年今年はこの70年を総括して今も治らない日本人の欠点を指摘して先進国が指導的力が衰えてきた今日世界に指針を出せる国家に脱皮して世界に貢献しなければ世界は混乱を増すことになるだろう。日本の伝統文化には世界が興味を示し日本に住みたがる外国人も多いという。日本人は本来公平、公正の民族かも知れません。国際外交では幼児のような行動をとって赤子がひねられるような弱点がありますが本当の日本人の価値はこれらの範疇外のところにあるのではないか。そのことを日本に住む外国人を通して世界に知らしめてもらったらまた日本の評価も変わるのではないかという希望をもっています。我々は杉原千畝や澤地久枝を持つことに誇りと自信を持たねばならないでしょう。日本人がもう一度心を白紙にして本来の日本人の良さを取り戻したら我々自身すっきりし生きる元気を取り戻すのではないでしょうか。