今日も天気がよく3階屋根裏の南向きの一畳の窓から赤い光が射しこんで春が近いことを知らせてくれます。今年になって感じたことですが18Lの石油を運ぶのに力が落ちたと感じました。5年前までは車から2本いっぺんに運んでいました。2年前まではタイヤの交換も自分でしてました。しかし75過ぎたころからやはり力は確実に落ちています。こういうことは頭では予測はしていても現実にぶつかると愕然とします。特にこの1月は姉の突然の死、自分が葬儀を行いその他で心身ともにくたびれて急に年取った気がしてなりません。家内の顔をみてもつくづく年取ったなあと感じます。昔の人は「人生わずか50年」といいました。それが80年にのびたとしても老の感慨に時代の差はないのではないでしょうか。ただ医学と設備、対応が昔と格段に進歩しているのでそれほど苦しまずに快適に死まで持てってくれます。ということは死という強い意識が昔ほどなくいつの間にか逝ってしまうように思われます。私の知り合いの人で89歳になり急に衣類の後ろ前が判別できなくなり2歳年下の奥さんと暮していて彼女が夫の面倒みるのも大変で急遽ホームに入居させ毎日くらい見舞っていましたが2ケ月後くらいに妻に看取られることなくホームで亡くなりました。多勢入居している老人ホーム夜中に亡くなるときはほとんど一人で逝くのでしょう。以前三浦綾子がまだ私には死ぬという仕事が残っているといっていたそうです。38回だったか危篤になり生還しを繰り返していたそうです。生に執着が異常に強かったのかそれとも彼女が意識しないところで60兆の細胞が生きようとしていたのか医師もびっくりしたそうです。とにかく今年に入って「死」が頭のなかでの観念でなく自分の一部として実感してきたことは確かです。いつか丸々の現実として突きつけられるのでしょう。ずっと前の話ですがフランスのバカロレア試験の哲学の題「死は人生の意義、意味にどうかかわるか」というのがあったそうです。現代人はあまり死を意識から無意識に排除して生きているのでは、私自身死を考えていたつもりで本当は何も考えていなかったということがわかりました。死でもなんでも実際に遭遇してみないと本当は分からないことなのかも知れません。作家の佐藤春夫だったかが友人の萩原朔太郎だったかの臨終のとき死につつある気持ちはどうなのかと問うたそうです。どう答えたかは書いてありませんでしたが、それほどに死の直前の人間の在り様を知りたかったのでしょう。分かるひとには自分の死は半日くらい前に分かるそうです。イスラム国に拉致された2人の日本人ジャーナリストが処刑されました。当人は覚悟をしていたかも知れません。ジャーナリストという職業が紛争地帯に入っていったら死は当然覚悟していたでしょう。積極的に死の可能性が内包する仕事をやるというのは生きているという意識は他の人間にくらべたら強いでしょう。どうせ死ぬならテロによる処刑でなく弾が飛び交う戦闘で死んで欲しかったと思います。既存のジャーナリズムでは自社のジャーナリストを危険地帯には出さないそうで危険をおかす人たちはフリーのジャーナリストか支局で雇っている現地の人間がほとんどなそうです。この一見平和な市民生活のテレビをひねると安易に見れる情報が実は命かけて現場で取材している人たちのお蔭であることになかなか気が付きません。我々は人生の裏(真実)を見ることなく超特急の社会という乗り物に乗ってあっという間に人生の終着点に着いてしまうことが今気がつきます。人生の幻想化、虚妄化がますます進むように思えてなりません。人生が楽で快適な総和であることを目指す文明は真の「生き甲斐」を見つけるのがますます困難になっていくことは確かのようです。このような情況でヴィクトール.フランクルの考えはますます重要になるのではないかと考えています。