昨晩と今夜、偶然BS1でユダヤ人のホロコーストの記録フィルムをやっていました。昨夜はアイヒマンの裁判の記録、今晩はユダヤ人強制収容所を生き延びた高齢の南ア連邦に住む女性のほとんど一人でその経験の話を語っていました。私が尊敬して止まない「夜と霧」の作者で精神分析の分野で実存分析という分野を開いた、強制収容所に3年いて帰還した、ヴィクトル.フランクルがいっているように、この老ユダヤ女性も数々の幸運が重なって生きて帰還できました。また万年飢餓状態の収容所でフランクルとおなじような崇高な愛を行う事実を述べていました。同じ労働収容所に入れられていたこの老ユダヤ女性が16,7歳のとき1歳だったか若い友人がその友達の誕生日に姿が見えなくどうしたのかと思っていると夕方一切れのパンをもってその女友達の前に姿を現しました。彼女は自分の休みの日を誰かの代わりに働いて一切れのパンを得て親友のための誕生祝いのプレゼントとしたのです。収容所の中で一番うれしいのは食べ物をもらうことです。彼女自身疲れている休みの日に友人を喜ばせようと働いたわけです。残念ながらその後しばらくして死んだそうです。こういった飢餓常態の収容所にナチの兵士の輸血用に採血にやってくるそうです。それも500g以上取っていくそうで大抵はやがて死ぬそうです。ある日彼女の収容所にも採決班がやってきます。多くが逃れようと逃げまどいます。しかし彼女はベッドからうごきません。ナチの採血係りがやってきてどうしたのかと聞く、彼女はチフスに罹っているという額に手を当て熱が無いじゃないかという、彼女はしかしチフスに罹っていますというとそのまま立ち去ったという。またあるとき別の収容所に移され着いてすぐ布にくるまれた衣類と靴など渡された。開けてみたら自分には小さすぎるものばかりでしかも寒さに向かう中に足の入らない木靴でした。彼女は万事休すこの冬は越せないだろうと観念していると柵の向こうで男が来いと手招きをしている行ってみると布包みを放るから持って行けというのです。見たこともない男でしたがかつて彼女の父親が靴工場をやっていたときそこで働いていたといったそうです。彼女の父親は実に雇用者を公平に扱ったそうです。その父親の人間性のお蔭でまたまた命拾いをしました。その包みの中には足にあった上等な皮の編み上げ、暖かい下着、ベルベットのコートなど、これで生き延びられると思ったそうです。その父親の雇用者だった男はガス室に入る前脱がされた衣類を整理する仕事をやっていたそうです。最後に送られた収容所、ベルゲンーベルゼンが一番ショックを受けたそうです。それこそ死体が山積みになっていたそうです。そして間もなくナチが敗退しアメリカ、ソ連軍がはいってきて収容者に急に栄養のある食糧を沢山食べさせその後3万人も死んだそうです。それらを彼女はつぶさに覚えていました。長い間沈黙していましたが孫が学校でホロコーストについての勉強で祖母が強制収容所の生き残りであることを知って旧収容所跡を訪ねて、彼女は次代に語り継がねばと語るようになったそうです。彼女の夫も長くその事実を知らなかったそうですが結婚して時々夜中悪夢にうなされ一晩中気を落ち着かせる為付き合ったと語りました。ユダヤ人ホロコーストは人類史のなかでも飛び抜けています。人間はどこまで冷酷になり非人間的な行為を組織的にできるかという命題を突き付けています。そんななかでも崇高な人間性を失わなかった人間が存在したことによってフランクルもロゴス(魂、神、愛)を中心に据えたロゴセラピーというセオリーをつくりました。心の問題を人間の次元を超克することによって治療する理論と思います。フランクルが収容所で実際経験した人間の崇高性が基本になっているのでしょう。

私はしばしば生きる張り合を喪失して無気力になりますが、フランクルの本を読み返すたびに何か生きる気力が戻る経験をします。アイヒマンの裁判をみても人間が人間を裁くことが本質的にできるものなのかと思わざるを得ません。今、今度は征服者になったユダヤ人が先住者のパレスチナ人の土地と命を奪う側になっています。そして世界が生産、流通が速度を増しています。人間という心情を遥かに超えて文明号は遥か彼方に疾走していきます。長いスパンの精神と思考を維持すれば生きることに支障をきたします。呻吟しながら生きることが人生なのか、年々生きるエネルギーが減退する中で厳しいことではあります。