友人が私の寝床に2泊した。彼はパリ時代の友人で今年、松島の隣町に住んでいて被災した。十年ぶり以上でクリスマスをともにした。普通人が泊まる時は1階のソファーベッドに寝てもらうのですが我々も歳をとって2階から寝具をおろすのも6人のクリスマスの食事の片付けでさえたいへんなのにその上遅く寝床作りもたいへんなので私のベッドに寝てもらった。そんなわけでパソコンのある屋根裏には2日間はいりませんでした。豊かになると客にそれ相応の質の滞在を主婦はこころがけるようになり、それなりに気をつかうので客もホテルなど予約してくる人もいるのではないでしょうか。わたしのところは昔旅人を一般の家で泊めたようなこころみたいなものが残っているかもしれない。私の友人でプロテスタントの小さな教会を守っているひともホームレスを泊めていたことがありましたが。今は昔のような素朴な社会でないのでお寺などで泊めるところはよほどの坊さんでないとできないでしょう。我々の家で10時半までクリスマスをやたった翌日の24日はお世話になっている近くの教会のクリマスによばれていて前日自作の4kgのライ麦パンを届けてあり食べてももらいましたがあらかた残ったので皆さんに持ってってもらいました。クリスマスとくに教会のにはパンが合います。というよりあると恰好がつきます。正月に餅が欠かせないようなものです。人が何人か集まって心を一つにして会食、歓談するのは楽しさ以上の心の高揚があります。信者の一人に鍼と指圧師がいて十人くらいのとくにお年寄りの肩を指圧していました。これも奉仕のひとつです。ひとの体やこころの痛みをとれ、実践しているひとは見ていても本当に素晴らしいです。その上このひとからみんな有機栽培の大粒の青マメを150gぐらいずつもらいました。セレモニーをした牧師ご夫妻も宮城県の山形県境の標高の高い雪国からやってこられ1時間の講話をされました。普通はとくに感じないのですが気持の沈みがちな年の瀬ですので非常に澄んだ心で聴きました。人間は調子の良いときは仕事もスムーズに進みますが心が動かなくなると全くエネルギーが動いてくれません。前述の被災した友人も鬱状態だと別れ際にいいました。お互い来年はなんとか希望のある年にお互い元気を出そうといいました。招待のなかに全く予定にない去年私の親友であるご主人をなくした奥さんが参加してくれみんなそれぞれに大変な今年でした。集まって話すことそれ自体に意味がある場合もあります。それは今年のような年です。もっとよべたらもっとよかったかもしれないがワイフの負担は大変なこと考えてしまいます。歳相応のエネルギーになったのかと多少愕然とします。でも2日連続のクリスマスを楽しく終わり、あとは25年病院にはいっている81の姉を大晦日と元旦の2泊させればまた仕事をスタートさせなければなりません。どういう来年になるか、とにかく福島県人にとっては多難の年ではあるでしょう。2日後に教会の友人の奥さんと72のホームレスの知り合いを近くの福祉課に連れていきます。受け入れられたら月8万支給されるようです。私一人では何もできませんが人を救う専門家が一緒だとこころ強いです。こういう方々の仕事がこの5,6年わかってきました。4年半前に発症したりんぱガンでご主人が6ヶ月前に亡くなりご主人の96歳の母と一緒に教会の2階でくらしてます。それに教会の運営を今はお一人でやってます。運転ができないのでなかなかたいへんです。自分のアトリエのなかだけで40年も生きてきましたがこのごろほんの少し世の中を感じています。大昔坊さんは20年くらい深山のお寺で修行しそれから俗に下って学んだ仏法の実践すなわち民衆を済度する。現代は全てが世俗化して魂の昇華、純化といった欲求自体が存在しなくなってしまい、欲しいものがどんどん出現しあっという間に終焉を迎える。それほどに時間がはやくたつ文明です。若者の多くが現実と近未来から目をそらしている事実は夢の無い生活ということですから大変な時代です。私自身の中に何か確信めいたものを発見しなければとおもいますが人間が金以下になってしまったという認識はかなり重くのしかかります。先日ある有名なシングソングライターが被災地を訪ね作詞作曲をし夏には小学生を20人ほど沖縄のあたりに招待して一緒に泳いだりかれの歌を聴いたりして元気を出させたいとしました。その中でかれの話を少年の前で話したら一人の小5の男児が嗚咽を最後までつづけまわりの子供たちも泣いている子がほとんどでした。今のこどもがあんなに感動するということを知ってどんなしらけといわれる時代になっても感動するという人間の魂が存在するということを実感しました。日常そんな感情に蓋をする文明だからこそ何かの拍子にどっとあふれ出るのかも知れません。非常に感動し人間は死んではいないと元気にさせられました。感動がない人生、日常、これは人間を生ける屍にするのだろう。話は変りますが西部 邁氏によると大衆とマスコミが新しい指導者を最初歓迎し次いで引き摺り下ろす、こういうやり方で何人も指導者から引き摺り下ろしたという愚を犯してきた。そういう衆愚が民衆政治のなかに潜在していることを指摘しています。また知識人の大衆への迎合も国を悪くしていると。日本がよくなるには地道な思考をしてかつ実行すること以外に日本が再生する方法はないのではないだろうか。