「日本を見捨てた日本人」だったかおよそこのような本が出たそうです。著者はフィリッピン在住の邦人を取材するやはりフィリッピン在住の30代のジャーナリスト。フィリッピンには今300人以上の邦人のホームレスがいてほとんどフィリッピン人の世話になっているそうです。現地の邦人がこれらのホームレスの面倒をみるひとはあまりいないということです。ホームレスの多くは日本でフィリッピン女性の働く夜の職場で知り合ったってフィリッピンで一緒にくらしたり、フィリッピンで知り合って一緒にくらし、女性は家族に送金して男の金が無くなった時点で放り出されるということです。ある男性など5,500万の退職金をフィリッピン女性につぎ込んで文無しになりホームレスになったひともいるそうです。彼らが日本に帰らないのは親兄弟がいても平生付き合いがなかったので今更たよることもできないので帰国という選択肢はありません。このルポルタージュによって逆に今の日本を逆照射していると著者はいっています。フィリッピンはカトリックの国で金満の国の日本のホームレスもかえって貧しい人たちが世話をしているそうです。日本に外国人のホームレスがほとんど見かけないのは日本人は面倒みないからであろう。つい20年前まで日本人はすべて中産階級とうそぶいていたが東京などや河の橋下に結構生活しています。私がフランスから帰国して13年日本人が案外冷たい国民だと感じます。お互い同じ経済レベルだと好意をもって誠実に付き合いますが一方が不幸など重なってレベルダウンするといつのまにかすーっと離れてしまう。あざやかなものです。日本人の心性も卑しくなったものです。それは敗戦以来日本が負けたのはアメリカの物量に負けたのだからとにかくアメリカのように豊かにならなければならないとしゃにむに働きました。その結果一時世界第2位の経済大国になりました。しかしその間に稼いだ金は自分と家族の物質的欲望の充足にあてられました。バブルも終わり、その時の日本人は金とものだけの空しさを味わなかったのでしょうか。あれ以来国民は経済が低迷していることだけ問題にしてきました。政府の経済再建も後手後手と評されて失われた20年などともいわれました。どんどん日本人の活力も失われています。日本人の活力が失われているのは日本という国の本当のあり方の議論がなくいたずらに経済のレベルだけ維持するのに毎年40兆近くの赤字予算を組み世界有数の赤字国家といいながら政府も国民を喚起させもせず、国民も惰眠をむさぼって眠りから覚めようともしません。私自身はどんなことにも耐える覚悟はあります。新大阪市長の橋下さんあたりから日本を再生して欲しいです。多くの日本人はこのままいったら日本は凋落していくという漫然とした不安はもっているでしょう。これを新鋭の政治家なり指導者が喚起し国民も目覚め参画して日本を見違えるようにできる能力は日本人のなかにあると私はおもっています。私自身動けないのを歯がゆく思っています。しかし私ができる唯一のことはアートを通して日本人の魂の再生です。私はそれをまずアメリカで示したいのです。江戸末期、ペリーが来日したころの日本人を記録したものによると、日本人の倫理感の清烈さ、衣服はけっして華美ではないが清潔であり、野鳥の国とあるそうです。つい敗戦直後まで地方では玄関にかぎがなく外出は隣人に頼んでいきました。それがこの66年で外形や礼儀は変らないように見えて内実全く変ってしまいました。この変化を日本から旅行ぐらいで1ヶ月ぐらいでてもわからないでしょう。長年日本を離れないとわかりません。毎日直射日光に曝されている絵画は何十年たってもその褪色に気がつきません。分るのはそれを売った作家が何年ぶりかでそこを訪ねたとき唖然とします。ずんぶり浸っている者は己の変化をなかなかわからないものです。だから常に他者によって逆照射してもらって自分を振り返る必要があります。そういえば今の日本に耳の痛くなるご意見番は見えません。皆な物分りのいい人か何もいわない人ばかりです。橋下さんを批評する仕方も全然的はずれ、それだけ日本人がふやけてしまったということです。私はここ急にぼやーっとしておれないという気持になってきました。何か日本人として生きている責任みたいなものを感じます。