前回、フリージャーナリスト.上杉 隆の『この国の「問題点」』という本を紹介しました。彼は何故日本が機能しないかということを指摘しわたしも同感です。それに加えて私の考えは今日も幕末のように世界の旧体制が機能しなくなってきているということではたいへん似ています。幕末が維新を成功させたこと、今はことが動かないということには何が決定的に違うかというと今の日本人は日本の現状と未来にたいして必死の議論とことを実行するに命を賭けることができなくなってしまったということである。ここ40年以上学生運動が起きていないことをみてもいかに若者がこの現状に無力感をもってしまっているかがわかります。食えないこと経済レベルを下げることが怖いのです。何不自由なく育ちながら人間教育がなされなかったツケが今払わねばならないのです。とにかく社会に、人間にぶつかっていく力がないから簡単に負け犬のように引き篭もりになっていくのです。スポーツ選手は別として体を鍛えることが人生で大切なことも忘れています。それより日本人が議論をしなくなりました。物言えば唇寒し秋の風、なんていうのは徳川体制で何処で咎められるかわからない状況下での言葉です。雄弁は銀、沈黙は金、もかつてはちょっとしたミスで命を失うか地位から失墜するなどの状況下での格言です。現代は大いに自分の意見を言語化できないではしっかり生きられない時代です。日本人は問題が明確になり目標が定まると一丸となって頑張れる国民です。しかし時代が行き詰まってはいるがそれが何であるか明確に顕在化していない不安な状況下にあるときは不安に負けて手も足も出ない誰かが未来を切り開く糸口を作ってくれるまではどうしようもありません。日本は先進国などのお手本がないと動けないといわれてきました。しかし今日一番行き詰まっているのはアメリカを始め先進国の文明そのもの、人間観そのもの、自然との関係そのものの行き詰まりなのです。日本人がいつまで待っても先進国は回答を与えてくれません。今東洋人である我々日本人が建国以来始めて自分で新しい人間の地平を切り開かねばならない時代に直面しているのです。それには思考、議論、行動が必要です。これらの根底に回りをみて考える、歩調を合わせる日本式をやっていては元の木阿弥、変る筈はありません。幕末は下級武士階級が時代の流れ幕藩体制の行き詰まりをいやっというほど感じていたことでしょう。それに世界のニュースがどんどん長崎から入って来、黒船という眠りを覚ますショックもありこのままでは日本の存続が危ぶまれることを多くの憂国者は感じたでしょう。現在もまた国家存亡の危機の中にいます。幕末は下手すると列強の植民地になるかという危機でしたが今は徐々に経済強国からの失墜と国家としての理想と目標が無いことからくる内部崩壊の危機に瀕しています。国家の存亡は経済よりも国民のモラル(規範と愛国心)にかかっていると歴史学者はいいます。最近の若者は外国に興味がなく従って外国留学生の数が減っているそうです。私が常々いっている世界が一つの村になることが人類の進化の方向であることは疑いの余地のない事実です。日本もその方向への理想をもって他の国々と協調していかねばならないでしょう。強者は常に覇道をいきますが次の文明は王道でなければ今の文明と本質的には変らないでしょう。日本人の中で遅れているのは政治家のコンセプトです。世界で新しく起こっていることの意味をアメリカの色眼鏡を通してしか見れないのです。アメリカに寄り添っていれば安全だと思っているようでは新しい文明作りに参加はできません。今世界はどう動いているか、どういう方向に向かっているかを真剣にさぐっていかねばならないでしょう。ある新しい思想の持ち主などすでに国家の枠外で行動しています。芸術家、ミュウジシャンたち、映画作家、彼らは世界を先取りしています。科学の世界は常に国境はありません。世界は一つの村共同体に向かっているのは確かな事実です。仏教なども日本人が一番しらないのではないでしょうか。西は東、東は西といわれて久しい。もはやこれも事実です。我々日本人は幻想のなかにいるのです。まだぬくぬくと恵まれた衣食住の中でぬるま湯のなかにいるのです。アーチストの多くは自分が何をやっているのかを吟味、省察なしに流行と仲間の歩調を横目で見ながらその日その日をマンネリ化してしまっているのです。今、どこをみても熱い議論もありません。今の経済を維持するのに必死なだけです。これでは死に絶えるのを待つようなものです。衣食住多足りて礼節を知るのでなく衣食住足りて他人を考えずブタになって未来が見えなくなっているのではないでしょうか。民族、国民の性質をかえるのは至難ですが世界そのものが変るときには民族、国民は意識して変ろうとしなければならないでしょう。世間は閉塞感に覆われていますが私には今こそ世界が再生への可能性が確信できる時代はないと確信しています。世界で原発の是非が論じられていますが同時に科学そのものと科学技術の競争が戦争を如何に変え国家のエゴが如何に国民のトラウマを癒し難いものにするか、科学技術と資本の提携が如何に地球資源の浪費と人間そのものを駄目にする面があるかを常に目ざとくし、議論をしなければならないか。人類は知的の進化と心の進化、深化のバランスをとっていかねばならないでしょう。現代は心の病の時代です。それは人間がものに、金に害されているからです。ものも金も本来便利で有用なものです。しかし必要以上身につけると人間をスポイルしてしまいます。知らず知らずものと金にしか頼れない存在に成り果てるのです。それは心を信じることができなくなること、人間がばらばらになるということです。今、新興宗教が盛んであっと言う間に伽藍を建てます。若い信者が多いです。彼らは不安なのです。そこを吸収するから盛んになるのです。新興宗教は既成宗教の現代語版かも知れません。既成の宗教が目覚めないと明日はないでしょう。現代の変化は物凄いものがあります。我々は敗戦以来66年もう精神も肉体も錆びついてしまっています。死を目前にして錆落とししてあの世で再生したいです。我々閉塞感の中にあっても気持を変えることによって希望に充ち満ちた存在に変えることができます。私の知り合いに公園で8年ホムレスをやっている72歳の人がいますが精神と肉体は健全です。別れた奥さんに息子が一人いるそうですが何十年も交信はありません。普通なら大抵浮浪者のようになります。立派だとおもいます。原発の汚染で県営陸上競技場に表面けずった土が山のように盛り上げられ鍵のかかっていなかった使われていなかった倉庫に釘が打ち付けられ入れなくなり何処にもぐって寝ているのかこのごろは私の知り合いも協力してくれるのでなんとかこの冬を過ごさせたいものです。パリでは極寒のときなど区知事の判断でメトロを開けホームに簡易ベッドをいれてホームレスを泊めます。食事も炊き出します。ホームレスの中には不幸が重なって落ちたひともいます。日本より厳しい社会だからこそソリダリテイと愛が必要なのです。私もどれだけフランス人に面倒看てもたっらかしれません。昨日も原発大丈夫かと便りありました。人間に国境がないことは確かです。中国人は駄目だとか韓国人は駄目だとか言う人はそこまで人間関係を深めていないで表面だけみていってるだけでしょう。人情はみな同じです。ただ表現に違いはあります。かえって今の日本人のほうが人を切り捨てます。今日は朝3時半に起きNHK「明日への言葉」を聞きそれから数日ぶりにブログをかきました。最近手紙書きとメール書きが多くブログを書く落ち着きの時間が得られず休みました。それに知り合いの産婦人科医で女性専門の心療科を友人のADHD(注意欠陥.多動性障害)とアスペルガー症候群の専門家と立ち上げ、その彼が長い間太宰 治をADHDとアスペルガーの病理的見地から研究していた太宰 治論の本を上宰しプレゼントされ毎日読んでいました。版画の制作も休んでいました。しかしこれらも版画制作にどこかで通底していると思って一般的勉強を大変重視しています。この本を読んで現代人が永遠、不易、絶対などの観念を無くしたことが不安の大きな原因になっていることが理解できます。彼は敬虔なクリスチャンです。本人自身現代人の鬱と闘っています。生きることに闘いを放棄することはあり得ないということです、社会に対して、己の内部に対して。