この頃はインターネットのお蔭で今までならお目にかかれないような情報が世界の人々に大量に提供される。アメリカは今まであまり戦争の兵士の精神障害など大っぴらにしてきませんでした。それは当然ですが。先日イラクの戦闘で精神に異常を来たしその治療の一部をインタヴューした番組があった。この戦争神経症をPTSBとよぶそうだ。アメリカの若者、その中には何年か従軍すると大学の奨学資金をもらえるため、またアメリカの国籍を取得するために戦争に行くものも多いという。何も知らない彼らが一応の訓練をうけ現地にいきますが、日々のパトロールで市民を巻き込んだ戦闘で神経がやられ人と見ると発砲するようになったり、或いは銃の引き金をこわくて引けなくなったり、仲間が幼児を殺したのを間近に見て以来おかしくなったりと新参の兵士の多くがPTSBになって本国で治療をうけその95パーセントが戦場に復帰するそうです。今、アメリカの国家予算が逼迫して法律で決めた額の臨界に達していて議会でその額を増やさなければたちゆかないところまできているそうです。300年、400年前の戦争は市民と戦場は別の場所で戦いました。もっと前モンゴール帝国時代は戦争に負けると男は皆殺しになりました。それはそれでみんな覚悟ができていたので殺された男の妻が気が狂ったり、自殺することはあったかもしれません。しかし今日は世界的に人権は保障され、人間平等との認識も定着しております。現代世界で戦場を除いて人を殺したらそれこそ大変です。人を殺したり傷をおわせたりすることは正常人には考えられないことです。それが戦争、しかも正義の戦争であることを叩き込まれ、そしてパトロール中何処から弾丸が飛んでくるかわからないところに放り出されたとすると自分の命を守るために人とみたら発砲する習慣が身につく者もでてくるでしょう。戦闘という場に放り出され頼るのは自分、自分の感だけ、日々そんな環境に数時間いたら神経を正常に保つことは至難でしょうしおかしくもなるでしょう。新兵の65パーセントはPTSBになるそうです。35パーセントは人を殺すのを何とも思わないそうです。今80代後半の沖縄決戦で戦ったアメリカ軍古兵たちの何人かインタヴューで吐露していました。最後の戦闘で沖縄の自然の洞窟をガマといい、その中に市民も兵士も隠れていて外にでてきた若い夫婦を射殺したら各々1,2歳のこどもを抱いていたが彼は連れて行こうとしたら目の前で他の1人が二人の赤ん坊を射殺しました。それが80何歳かまで時々思い出しこころを痛めるどうです。法的にもこれだけ人権と平等思想が保護されている、しかも民主主義の権化を自認するアメリカが実は世界の覇権を維持するためにこのようなことを日々イラク、アフガニスタン、パキスタンでおこなっている事実、それにイスラエルとパレスチナの紛争、第二次世界大戦が終って代理戦争、局地戦闘が終わったためしはありません。アメリカは国力があったときは飴と鞭即ちドルと軍事力でおおくの国々を懐柔して支配してきました。次にのし上がってくるのは中国と目されています。中国が覇権を握ったらアメリカよりより残酷な方策で支配を強硬するのかわかりません。世界人の意識がかつてないほどの強まりを見せている今日、こういったイラクなどの現実を知り世界市民が団結して戦争参加を拒否する時代がもうそこまできている、いや可能性がでてきていると思います。日々世界ではどんなことが起きているかを見せるマルチ映像を流したら(すでに極く小規模なカ番組はあります)世界平和への世界市民の願いは行動になって現れると思います。今回の東日本大震災、原発被害にどれだけのボランテアの人たちが参画し物資を提供したか、友人が松島で被災し本当に助かったといいました。外国からも応援にきてくれました。敗戦以来日本は戦闘に参加しないでアリのように働いた金を多くの国に援助してきたことがこんなとき多くの国々から支援を得られるのでしょう。戦闘によって根本的に平和が醸成されることはないでしょう。武力でなく話し合いによってしか和平は招来されないでしょう。ときとして武力を使わねばならないこともまだあるかも知れません。北朝鮮が韓国に対して挑発行為をしても韓国が仕掛けないのはミサイルが怖いこと、北朝鮮帝国を維持するためには何ごとも辞さないということなのでしょう。人民のための共産主義が3代続く帝国になったのですから、またそれを許す国民も不思議ですがこれは武力で国民の発言を封じているからと中国が北朝鮮を存続させることが世界政治の駆け引きに有効だからでしょう。しかし時の流れは偉大なもので100年、200年たつごろには世界の様相がまったく変ってしまうだろう。永遠に続く超大国はあり得ないことは歴史が証明しています。しかし我々1人1人が世界を考えなければならない文明の時期にきていることも確かです。そういった意味で希望はあります。私が好きなドイツ人禅師、ネルケ.無方師は゛坐禅は主食なり″と看破します。どんなに忙しくとも人間に考える時間はあるということです。燕やスズメの巣が東京ではどんどん中心のビルや鉄塔の隙間に増えているそうです。それは食糧が豊富なこととカラスなどからヒナをまもり易いからといわれています。人間も文明の変化にともなって安全に暮らせるようなスタイルを生んでいくことでしょうしもはやテンポを変えられなくなっても自分の周りを少しは変えられるでしょう。しかしこの小さなことでも生活や精神がかなり軽やかになることも可能でしょう。とにかく話し合うことです。そうすれば三人集まれば文殊の知恵のたとえの如く良いアイデアも浮かぶでしょうし人間間に活気が出てくるでしょう。若かりし頃わたしたちのアトリエには沢山の仲間が集まってよく議論し遊んだものです。若いということは素晴らしいものです。そういっても若い時に戻れるものではありません。今はインターネットで世界の人たちと交流できます。年とったからといって諦めることはありません。大いに意見を交換したいと期待しています。情報を開示する社会は健全です、ただ偽の情報をコントロールしなければならないのは当然中の当然です。いつも書くことによって1人ではないんだなとつくづく思います。