テレビの予告で建築家の安藤忠男が若者にどうしたら意欲をもって未来に向かうかを指導するのがあるということである。敗戦以来日本はなべて目に見える結果即ち金になるかを目安に教育をやってきた。人間に何が大切かではなく知識の水準をあげ効率よく結果だけを習得させ企業に都合が良いように企業ロボットを促成してきた。今何故若者に本当の意欲がないかというのは彼らがこの社会で必要とされるのは企業の競争を生き抜く専門家であり良き消費者即ち給料をいっぱいとって沢山買うということです。このような価値観の社会という組織で若者は自分が先ず精神の存在であるという意識を持つことはできないだろう。企業ロボットで消費者以外の何ものでもない。こんな社会の中で若いアーチストは何を表現するのだろう。小さいときから人間とは何かを考える教育を受けてないので出来た結果を詰め込まされてきたので思考の糸口さえ見つけだせないでいる。しかし生命の本質は深いところでこんな状況に若者は満足はしてはいない。その鬱積が色々な現象として例えば引き篭もり、突発的犯罪などに現れている。敗戦以来指導者たちはアメリカに負けたぐらいで明治維新以来の日本人の価値観、モラルの根底を殆ど失った。それは当時の指導者たちが本当の人間の価値の認識に達していなかった。闇雲に今までの私たちが誤まっていたと180度転換しようと猛省したんだから呆れたもんだ。明治期に東大で教鞭をとった外人教師が書いてますが生徒の多くが我々は欧米に遅れをとった。今までの日本を捨てゼロから出発しなければなりませんと。外人教師の目には日本文化の素晴らしさがこれらを捨て100パーセント欧米型に切り替えようとする日本の若者が不思議に映ったことだろう。岡倉天心も東大でフェノロサに出会い日本美術のすばらしさに開眼しなかったらやがて東洋の理想に目覚める事が或いはなかったかも知れない。欧米の哲学界では19世紀ごろから身体と理性を分けたいわゆる二元論のひずみをいかにして修復するかに取り組んだ哲学者が出始めました。東洋特に日本では既に体で学ぶ、頭で学ぶなということが相当以前から教育の根幹にあり心身一如を理想そしてきた。敗戦後西洋人のような2,000年にもわたる強靭な理性力、いわゆる悟性の鍛錬もないのに権利と義務という欧米型社会の人間観を自ら中途半端に学び今でも日本人の伝統的人間観との間の混乱のままあるというのは日本という国の姿が見えないという結果を招来しています。国の根本が無ければ教育もなにも基礎がつくれないということです。こんな不安な状態では現実的に日々乗り切れる金を絶対視するのは当然でしょう。人間におぼろげでも方向性が生まれれば少なくとも100パーセント金ではなくなり人間が元気になると私には思えます。キリストは名は忘れたが漁師の兄弟に魚を獲ることを止め人間を獲る(変える)ように私についてきなさいといったと福音書にありますが人間が生きるということはパンを食ってからだと欲望を充足するだけではないんだという考えに繋がると思う。現代人の多くはパンのみで生きているのではないか。生きる理想や目的がないと生命力の半分しか発揮できないのではないだろうか。今の日本人に体で覚え再び日本人の長所である心身の統合を達成し物質主義、金だけ主義から自覚をもって脱却すれば目の前が大いにすっきりするのではないだろうか。太った小学生などみると頭がすっきりしない小さいことに神経質な本来の子どもではないなにか異様なものを見ているような気持になる。子どもにもっと労働をさせるべきとつくづく思う。おかしくなりすぎた日本をどうやって蘇生するか、私は私なりに日本人の可能性を思索実行していく覚悟であり50年続けてきたつもりであります。今年で画業満50年になります。