他人のことはよく見えるということは批判し易いということ、しかしこと自分に関しては殆ど盲に等しいということだ。何故こんなことを書き出したかというと毎日配信されてくるブログに極東ロシアからきた極東の近代史専攻の女子留学生にあるジャーナリストが日ロが仲良くなるには先ず北方4島を帰す事を強調して中国人と違って日本人は日ロ戦争のロシアの捕虜を日本に連れてきて抑留中に無くなった60人だったかの慰霊碑を建ていまでもきれいに掃除をして花を添えていると説明して中国人とよりは日本と仲良くしたほうが極東の繁栄のためにはいいんだと説明したと本人の文章が載っていた。しかし私の知識では第二次大戦中日本軍は糧秣を現地調達するのが基本であったので価値の無い軍貨で調達した、また熱帯の気候に馴れずインパール作戦では20,000人の日本兵が闘わずに死んだ。土地の仏教の僧侶などほとんど遺骨が残っており日本人観光客が買いあさっている姿をみて怒りをぶちまけられたひともいます。その点インドネシアで死んだイギリス兵は政府が遺骨をブルドーザーを使わずに拾い銅版に全員の名を彫って真に立派な碑があるそうです。そんな現状をみて心ある日本人が私財を投じてお寺を建てたり現地の子女のために奨学金を設立したりするひとも例外的にありますが。何でこんなに遠回りして説明したかというとロシア女子留学生に日本人はこんな敵を弔う優しい国民なのだと説明しましたが優しいのと国のために戦い命を落とした兵士には国家がちゃんと骨を拾い慰霊をしなくてはなりません。シベリア抑留者にたいしても慰謝金を支払ったのは極く最近です。日本が企業も政府も金が沢山あった時も国が主導して骨拾いや今でも特攻隊を祀る神社もないのではないか。知覧には年1回の慰霊祭祀が民間の組織によって行われているそうです。敗戦以来戦争の犠牲者を堂々と慰霊することが軍国主義賛美者とみなされることを恐れるかのように口をつぐんできました。反対にヒロシマ、ナガサキの慰霊は大々的に行ってきました。それは世界平和のためにというスローガンを堂々といえますから。しかし戦争の泥沼、暑さ、マラリヤ、飢え、傷などで戦い無くジャングルを逃亡しながら国家の犠牲になった若者や一家の支柱など300万が亡くなりました。我々はもっともっとその人たちを忘れない教育をしなければならないといつも思います。それは対戦国を末永く敵対心を持ち続けることを意味しません。犠牲になった同胞を決して100年たっても200年たっても忘れてはならないということです。中国の南京虐殺記念博物館に対して日本人は奇異に思うかも知れません。若し日本だったらそんな記念館は建てないでしょう。両国の友好の邪魔になるだろうとおもんばかるから。敷衍するとそのときの友好(利益)のために歴史の事実を葬ることさえあえてしないとも限らないということです。此処で最初の問いにもどりますが自らを客観視し自らを知ることは不可能に近いほど難しいことだという事が分ってきます。己自身できるだけ誤りを避けるためにはひとと議論し他人の批判を真剣に反芻することが大切のような気がします。人間が一生の間に進化することはとにかくギリシャ時代のように議論することでしょう。議論するには対立することを避けてはできません。日本人は議論の不得手な国民ですからここは意識して努力をしていかねばならないでしょう。日本という国、国民がいかなるものであり世界の国々がどのような国、国民であるかの学びと議論なくして世界平和はないでしょう。その点文化の交流は戦争勿論経済戦争のリスクなく交流しお互い高め合うことができる唯一のジャンルでしょう。パルテノン神殿の破風だったかに「汝自身を知れ」とあるそうですがこれは人間進化の基本、原点でしょう。現代は競争と欲望と欲望の戦いによって真理や真実がほとんど見えない時代です。我々はすくなくとも敗戦以来66年どんな風に意識や生甲斐や欲望を変化させてきたかを反省、分析したらどのようにして人間性を失ってきたかがわかりこれからの舵取りの方向が定め易くなるのではないだろうか。この一文をきっかけに私は猛省しなければと考えます。