昨日珍しく今日友人が来るので一丁フランス料理でもやるかと牛肉を買いに大きなモールに行きました。ワイフが肉を買ってる間久し振りに男子売り場をのぞいたらソールドのコーナーに半袖の開襟シャツがあり私好みの柄のが一着だけあり900円という赤札がついていてレジに持っていってレシート見てびっくり、180円というのです。赤札からさらに80パーセント引きというのです。只でもらったような気持でしたが同時に今の商売の難しさを想い世の中大変なのだと今更思いました。パリ在住の友人の画家のジュネーヴとスペインの姉妹画廊の同時閉廊と東京の3年に一度3週間の画廊企画の個展を20年も続けていた画廊主の自殺で閉廊とみな同業者たちは大変な状況に立たされています。私は幸い家と大きなアトリエを持っているので家賃の心配がないのでいざとなったら太平洋戦争中のこと考えたら野々草くっても生きられるとおもっています。日本が豊かになり物が必要を遥かに超えて多種多様になり生活も煩雑になり冠婚葬祭も葬儀会社などのせいで形式化され遺族はあっという間に終わりそして取り残される。全てが社会のテンポの速さの加速化に合わせてしきたりなども合理化、加速化される。人間は友人の死を悲しむことさえ枠の中で実感を喪失してしまう。この文明は死さえも隠蔽してどんどん速度を速めています。年々自殺者3万強、生きている実感も希薄化していっています。だから人は永遠、不易、絶対を探す時間も意識もなく日々小さい愉楽をもとめ惰性の明日のために眠りにつく。こんな社会に若者は反旗を翻さないのだろうか。30年来ほとんど何も起きないではないか、不思議だ。それほどに文明は根源的生命力を奪うのだろうか。昨日は180円の開襟シャツを買って相変わらずの多量な生産による無意味な競争、こんな加速化と過当競争の中でますます生きる気力が失われるのではないだろうか。とことん落ちないと再生への自覚と意志はもてないのではないだろうか。ならもっと悪くなるのを待とうではないか。