講座で学んだことを思い出しながら、


先生が言っていた流れをなぞりながら、

「これでいいはず」と思って投稿する。



でも、どこかで自分でも分かっている。



これは本当に、自分の言葉なんだろうか。



先生がよく使っていた表現。

講座の中で何度も聞いた世界観。

仲間たちが当たり前のように使っている言葉。

「こう書くと反応が取れる」と教わった型。



それを、自分なりに言い換えているつもりだった。



でも、書けば書くほど苦しくなる。



なぜなら、その文章の中に、

自分の痛みも、

自分の違和感も、

自分が本当に助けたい人の顔も、

ほとんど残っていないからです。




先生の言葉を借りた瞬間、

自分の言葉は少しずつ消えていく。



もちろん、学ぶことが悪いわけではありません。



誰かの考え方に触れて、

救われることはあります。



自分では言葉にできなかった感覚を、

先生の言葉が代わりに表してくれることもあります。



むしろ、最初はそれでいいと思うんです。



何も知らない状態で、

いきなり自分だけの言葉を書こうとしても、

たぶん手は止まるから。



だから、学ぶ。

真似る。

型を借りる。

うまくいっている人の言葉を、自分の中に入れる。



そこまでは、必要な過程です。



でも、問題はそのあとです。



借りた言葉を、

いつまでも自分の言葉だと思い込んでしまうこと。



先生の世界観を、

自分の世界観だと勘違いしてしまうこと。



ここから、少しずつ危うくなっていきます。



最初は、学びだったものが、

いつの間にか自分を隠す言葉になってしまう。



本当は怖い。

本当は違和感がある。

本当は、そこまで言い切れない。

本当は、その世界観に少し疲れている。



でも、それを言えない。



なぜなら、先生の言葉から外れると、

自分が間違っているような気がするから。



仲間の輪から外れてしまうような気がするから。



「分かっていない人」だと思われそうだから。



だから、今日も書く。



先生っぽい言葉で。

学んだ通りの流れで。

どこかで見たような世界観で。



そして、投稿したあと、

少しだけ疲れる。



ここで一度、考えてほしいんです。



その文章は、誰の人生から出てきた言葉ですか?



先生の人生ですか。

講座の世界観ですか。

仲間内で通じる合言葉ですか。



それとも、あなた自身が本当に見てきた現実ですか。



ここをごまかしたまま発信を続けると、

ブログはどんどん上手くなります。



文章の形も整っていく。

それっぽい見出しも作れるようになる。

共感されそうな言葉も選べるようになる。



でも、不思議なことに、

書いている本人だけが、どんどん苦しくなっていく。



なぜか。




それは、発信しているようで、

本当は自分を置き去りにしているからです。



ブログを書くことは、

自分を大きく見せるための作業ではありません。



先生の言葉を、

別の言い方で広めることでもありません。



本当は、



自分が何に苦しんできたのか。

どんな違和感を見てきたのか。

誰のどんな痛みなら、心から分かるのか。



それを、少しずつ言葉に戻していく作業だと思います。



たとえば、先生は「ブロックを外そう」と言うかもしれない。



でも、あなたの中には、

「ブロックって言葉で片付けられるのが苦しい」

と感じた瞬間があったかもしれない。



先生は「理想の未来を描こう」と言うかもしれない。



でも、あなたの中には、

理想の未来より先に、今日をどうにか乗り越えたかった日があったかもしれない。



そこなんです。



あなたの言葉は、

綺麗な正解の中にあるんじゃない。



先生の言葉をうまく言い換えた先にあるんでもない。



本当は、

あなたが「それ、ちょっと違う気がする」と感じた場所に眠っている。



あなたが言えなかったこと。

飲み込んできたこと。

誰にも分かってもらえないと思っていたこと。



そこに、あなたの言葉があります。



だから、もし今、

ブログを書いているのに苦しいなら、

一度立ち止まってみてもいいと思うんです。



この言葉は、

本当に自分の中から出てきたものなのか。



それとも、

誰かに認められるために、

誰かに教わった正解をなぞっているだけなのか。



ここを見ないまま発信を続けると、

売れるかどうか以前に、

自分の言葉がどんどん遠くなっていきます。




売られる側のまま、売る側に回らない。



これは、ただ商品を買う・売るという話ではありません。



先生から買った正解を、

自分の言葉だと勘違いしたまま、

次の誰かに渡してしまわないということです。



学んだ言葉を使うな、という話ではありません。



ただ、その言葉を使う前に、

一度だけ自分に問い直してほしい。



私は本当に、これを自分の言葉として言えるのか。



言えないなら、

まだ書かなくていい。



もっと弱い言葉でもいい。

もっと未完成な言葉でもいい。

先生みたいに綺麗に言えなくてもいい。



でも、自分の中から出てきた言葉なら、

その方がずっと強い。



なぜなら、読む人は、

完璧な正解に反応しているわけではないからです。



その人が本当に見てきたもの。

本当に苦しんできたこと。

それでも言葉にしようとしている姿。



そこに、反応している。



まずは、自分の言葉を取り戻す。



そこからしか、

本当に必要な人に届く発信は始まらないと思っています。



次の記事では、

「売れないのはブロック」と言われた時に考えること

について書きます。