愛する魂の冒険者たちへ

 

 

 

ヒプノセラピーの講座を開催させていただいていて

 

強く思うのは

 

人の内側には、神聖な治癒力が備わっている、ということです。

 

どんな人も癒しのプロセスを進んでいるともいえます。

 

 

 

 

 

と同時に、、、

 

 

 

わたしたちは

 

「今まで入っていた箱から出ると

 

楽になることがある」

 

ということも、考えさせられます。

 

 

 

ときどきはそれを思い出せるといいですよね。

 

とくに、身近な人間関係、

 

家族のことで苦しさが募った時には。

 

 

 

あたりまえのことのようですが

 

「悩みの箱」の外側には

 

違う世界が広がっています。

 

 

 

 

 

家族って不思議なご縁で、

 

かけねなしに幸せな時間があるかと思えば、

 

場合によっては、

 

人生最大の苦しみや悲しみや怒り、

 

しんどさを、

 

家族の中で味わったりもします。

 

 

 

 

家族の中で人は

 

愛し愛されて幸せいっぱいという体験もするし、

 

心が粉々になるような体験もするんですよね。

 

 

 

 

 

 

そして、、、

 

家族という関係性を

 

「しがらみ」

 

にしてしまって

 

自分をじゅうぶんに生きられない、

 

そういうこともあるようです。

 

 

 

(しがらみ=死絡み とお師匠さんに教わりました。)

 

 

 

安全だった場所が一転して

 

自分の才能や、可能性や、

 

心や体を

 

一定の枠に押し込める

 

ハコのようにもなってしまうわけです。

 

 

 

 

 

 

自分がどういう状態になっているか、

 

それは自分の現状、

 

自分の心を見てみるとわかるようです。

 

 

 

 

 

もし自分が、家族の中で

 

幸せ感や、感謝や、自由よりも、

 

しがらみの感覚や

 

苦しみを感じているのだとしたら、

 

 

 

 

思い切っていちど

 

一定の距離を置いてみる、というのも

 

結構、有効なようなんです。

 

 

 

 

別にそれで家族が家族じゃなくなるわけじゃなく、、、

 

 

 

 

 

物理的な距離を取るのが難しい場合は

 

精神的に距離を置くこともできます。

 

 

 

 

この世で家族だけが尊いご縁というわけではない。

 

ということを

 

思い出してみると、

 

そこから、

 

ちょっと楽になることもあるようです。

 

 

 

 

 

 

 

以前にも書いたことがありますが、

 

対面同席五百生(たいめんどうせきごひゃくしょう)

 

という言葉がありまして、

 

お釈迦様がそのようにおっしゃったとか。

 

 

 

 

どういう意味かと言いますと

 

「その場所で

 

一緒に座って

 

食事したり話し合ったりする関係は、

 

500回ほどは生まれ変わらないと、

 

そうはならないくらいの貴重なご縁」

 

 

 

 

 

 

 

 

なんだかすごいですよね。

 

 

 

 

今隣に座った人も実は、

 

対面同席五百生。

 

 

 

 

家族と同様に、魂の深いご縁があるかもしれない、と考えると、

 

何気なく出会っている人たちや

 

友人との関わり方が変わりそうです。

 

 

 

 

そして、そう思うと、

 

家族の間で、

 

ガチャガチャあれこれあったけれど、

 

 

 

別に、そこにだけ、人生の喜びや、

 

ご縁の素晴らしさがあるわけじゃない・・・、

 

 

 

あたたかい気持ちが通じ合う場所は

 

どこにでもあるし、

 

自分がその場所をつくれるんだし。。。

 

と、ちょっと気楽になれるかもしれませんよね。

 

 

 

 

 

自分がまず自由に幸せになれば

 

(それを自分にゆるすことができれば)

 

 

 

たいせつな家族にもけっきょく

 

そのエネルギーは広がっていきます。

 

 

 

*家族、という言葉を他の言葉に置き換えてみてもよろしいかと。

 

 

 

 

 

ピンとくる部分があれば参考にしていただければ幸いです。

 

 

今日も命にありがとうございます。

西田普

にしだあまね