愛する魂の冒険者たちへ






映画でも本でも、音楽でも、

 

なにかに出会った時、

 

ふれたときに

 

 

「自分が自由になった感じがするかどうか」

 

 

って、結構だいじだなあと思っているのですよね。

 

 

 






たとえば

「人を自由にしてくれる映画」

 

「読む前よりも自分がより自由になる本」



ってあると思うんです。

 

 

 

 

(ちょっとスピリチュアルな観点になりますが

ヒットする映画やベストセラーや流行歌って

「必要なタイミング」で地上にもたらされている、

ことがあるようです)

 

 

 

人との出会いもそうですね。

 

その出会いによって

 

自分が自由になる。そういう出会いってあると思います。





「地球のエネルギーが上がって」

「たくさんの人が夢を叶えていく」

そういう時代だからこそ、


 

 

 

自分が自由の方向に進んでいるのか?

 

その反対なのか。

 

大事なのかなあと思うんですよね。




 






今日は、古神道のお師匠さんの

 

和氣正京先生と、奥様の美土梨さんに

 

お目にかかることができました。





 

 

恩人のご夫妻にお目にかかれるだけで嬉しいことですが

 

気づいたら

 


とても「自由になれたな〜」と感じながら

 

帰りの電車に乗っていました。

 

 

パートナーの田宮陽子さんと一緒に

 

ありがたいね、、、と感謝しながら。



(いろいろと大切なことを教えていただきました。


しっかり整理してからまた皆様にシェアさせていただきますね。)

 

 

 

 

 

いま自分が関わっているなにかを思い浮かべてみて、









「それ」は自分を自由にしてくれるのか?


これをときどき見てみることは

 

とても大切なことだと感じます。

 

 

 

 

 

 

例えば


私たちひとりひとりは


誰しも

 

それぞれの

「固有の事情」をかかえています。

 

 

 

それに縛られるのか。。。

 

それとも

「全肯定・全活用」して


人生の舞台で輝いていくことができるのか。

 

 

 

 

 

今ががんじがらめになった不自由なところだったとしても

 

ちょっとしたきっかけで

 

自由になっていくことが必ずできるんですよね。





「生い立ち」だったり

 

「家庭環境」だったり

 

「経験してきたこと」だったり
 
「人生の不完全燃焼」感覚だったり、、、

それぞれが抱えてる「固有の事情」はいろいろですが、

 

 

 

それがどんなものだったとしても、

 

ある瞬間、それがくるっとひっくりかえって、

 

輝きに、転じていく、ということはありえます。



 



「固有の事情」つまり

「人との違い」こそ、才能なんだ!

唯一無二の、チャームポイントなんだ
という視点を持った
瞬間、

 

がんじがらめになっていた不幸感から

 

自由になれることがあります。

 




気づきは人を自由にするんですよね。








迷いと不自由の世界から、

歓喜と自由の世界へと転じていく、

気づきのきっかけは、

 

多くの場合、

人との出会いや

愛ある応援だったりすると思います。

 

 



気づきは人を自由にする。

 

 

 

楽しい、っていう語は、手が自由な状態を示すんだって、

 

教わったことがあります。

 

 

 

 

 

 

 

これから何かの「概念」「情報」に出会った時は、

 

自分が「より自由になった感じがするかどうか」を

 

よく観てみようと

 

僕もあらためて思いました。

 

 



きゅーくつは、もうじゅうぶん、体験してきたので

 

もういいかな、と。

 

 

 

 

 



わたしたちは、もう自由に

 

はばたいてもいい時をむかえているんですよね。。。

 

 






きっとこの春から

 

あなたはますますどこまでも高く

 

はばたいていかれることでしょう。

 

 

 

 

 




ではでは、快適な夜ををおすごしくださいませ。

 

そして素晴らしい朝をお迎えくださいね。


  

今日も命にありがとうございます。

西田普

にしだあまね