愛する魂の冒険者たちへ




儀式が一つ終わりました。






現地のグルジ(聖者の尊称)と。











病気のときとか、

 

なにか、人生の試練に見舞われた時って、

 



自分も、家族も、

 

つらくて苦しくて悲しくて、

 

自分を責めるような気持ち、




どうして自分が、、、


どうせ自分なんて、、、

 

という気持ちになりやすいと思います。

 

 

 

自分もそういう気持ちになることがあったんです。

 

川のほとりにたたずんでいるような時もあったと思います。

 

 

 

 

 

それでも、、、それは

 

自分の魂の成長のために起きているのかもしれない、

 



なにかそこから学べることがあるのかもしれない、

 

と思い出すと、

 

そこから状況が好転していくことがあります。




実際にそうなれたのは


ご先祖さまにお祈りしたり


自分の本質についての探求をし始めてからだったかもしれません。

 

 

 

 

エドガー・ケイシー先生は、次のような言葉を

 

リーディングのなかでのこされています。

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

神は人が耐え切れないほどの

 

重荷を負うことを許したまわない。

 

試練や苦難の大きさは、

 

そのまま、

 

その人に対する、

 

神の期待と信頼の深さを語っている。

 

(エドガー・ケイシー)

 

 

〜〜〜

 

 

 

このケイシー先生の言葉をみて、、、

 

魂的な直感として

 

「ほんとうにそうだなあ」と感じますし

 

 

そうだった、全部が、

 

「神はからい」のなかにあるんだった。。。

 

安心して取り組んでいけばいいんだ、

 

 

 

 

 

という

 

安堵もわきあがってくるのでした。

 

 

 

なにしろ、わたしたちって一人一人誰もが、

 

 

 

神様からの絶大なる信頼を受けて、また期待され、

 

今ここに存在しているらしい、、、

 

 

 

それってよくよくかみしめると、

 

すごいことだと思うんです。

 

 

 

 

 

それでは引き続き快適な夜をお過ごしください。




今日も命にありがとうございます。

西田普

にしだあまね