愛する魂の冒険者たちへ

 

 

 

 

昨日、パートナーの田宮陽子さんとともに

 

「家族」をテーマにしたオンラインイベントを開催させていただき、

 

皆様と気づきと学びの時間を過ごさせていただきました。

 

 

ご参加くださった皆様、本当にありがとうございます。

 

 

 

 

「家族の問題」って

 

絡みあっていくと

 

なかなか大変なところがあります。

 

なかなかどころか相当です。

 

 

 

 

 

 

 

ただ

 

いまは、魂の目覚めの時代ですし、

 

カメラを引いてみることが

 

やりやすくなってきました。

 

 

 

 

いま地上で生きている私たちの中で

 

これまでの転生の

 

中間決算とか総決算的な人生を

 

選んでいる人は少なくないようです。

 

 

 

 

 

なので、だからこそ

 

 

 

深いところから

 

いろんな現象が起きてくることがあるようです。

 

 

 

いっけん、ネガティブに見えることも

 

大掃除的に起きてくるようなんですね。

 

 

 

 

 

(自分の実感としてもあります)

 

 

 

 

 

 

いっけんネガティブなことが起きてくる時

 

その渦中では、しんどくて、つらくて、

 

なかなかそうは思えないものだと思いますが

 

 

 

 

実は、以下のような見方があると、

 

賢者たちから教わってきました。

 

 

 

 

それは

 

「問題として見える現象が、現れた瞬間に、

 

実は、長年の因果が解消している可能性」。

 

 

 

 

 

そして、

 

「問題に見えるけれど、

 

現状で、すでに守られていて、

 

実は、より最悪の事態は避けられている可能性」。

 

 

 

 

 

さらにカメラをひいてみると

 

「すべてはよくなるために起きている」。

 

 

 

 

 

 

そういう見方もあることを

 

賢者たちに教わって、

 

最初に聞いた時は

 

「えっ!!! そんなことって、あるのかな」

 

と思いましたが、

 

今は日々、感覚的に

 

「どうも、本当らしいぞ」

 

と、実感しているのでした。

 

 

 

 

そこで、因果のことについて、

 

以下のことをあらためてシェアさせていただきますね。

 

 

 

〜〜〜


 

 

 

何度も何度も生まれ変わる中で

 

わたしたちの魂は

 

無限に近いくらいの

 

違った「世界線」を経験し、

 

さまざまな立場、

 

さまざまな命を経験するようになっているようです。

 

 

 

 

 

 

だとしたら

 

「与えるものが受け取るもの」

 

っていう宇宙法則には

 

またひとつ立体感が加わります。

 

 

 

 

 

「与えるものが受け取るもの」

 

これは「円の法則」とか

 

「因果応報の法則」「カルマの法則」などともいわれます。


 

 

 

自分が発した言葉や行動は、

 

今回の人生か、どこかの人生で刈り取ることになっている、

 

(たとえば、ほほえんだら、ほほえみが帰ってくる)

 

という法則です。

 

 

 

 

 

 

 

ところが

 

それだけでなく。。。

 

 

 

 

 

並行世界があるとしたら、

 

いつかどこかで、

 

「すべてを、わたしとあの人と、逆の立場で経験する可能性がある」

 

ということも含んでいる可能性。

 

 

 

 

 

もしそうだとしたら、もう一人の自分に対して

 

自分はどんな言葉やふるまいを選んでいくのか?

 

考えてみたいのです。

 

 

 

 

 

最近、

 

「ゆるすということ」

 

の真のパワーが

 

感じられてきます。

 

 

 

 

何か、腹立たしいこと、

 

しんどいこと、

 

思うままにならないことがあった時に、、、

 

自分を責めたり、

 

あるいは、

 

外側の何かや誰かのせいにして、

 

怒ったり、落ち込んだりします。

 

 

 

そんな自分に気づいたら

 

「ゆるします」

 

って、何度も言っていると、

 

ふわっと心が軽くなり、楽になることがあります。

 

 

 

 

本当につらい時やしんどい時、、、

 

僕の場合は、病気で死ぬかもって思った時や、

 

パートナーシップや家族のことで

 

自分のことを信じられなくなった時に

 

 

 

 

「ゆるします」

 

って言ってるうちに、

 

涙があふれてくることもあったりしました。

 

 

 

 

気づいたら、いつか平安になったんです。

 

 

 

 

 

 

それで、実は、

 

この言葉を唱えて、

 

心が軽くなった先に待っているものがあるんだ、

 

と、あるときに

 

ふと思ったんです。

 

 

 

 

 

 

で、思い出されて来たのが、

 

癒しの名著として名高い

 

「ゆるすということ」を翻訳された、

 

大内博先生の取材をさせていただいた時のことです。

 

 

 

 

 

 

 

大内先生は、

 

山中湖に近いご自宅にお住まいでした。

 

 


 

暖炉でパチパチ音を立てて燃えている

 

暖かな炎の照り返しを受けながら、

 

大内先生は、

 

幼いお子さんを亡くされたご経験と、

 

「ゆるし」の実践によって

 

癒しを得たことを、お話ししてくださいました。

 

 

 

 

そして、次のようなお話も、してくださったんです。

 

 

 

 

 

タバコの吸い殻が散らかっているのが大嫌いで、

 

灰皿からあふれ出しているタバコの吸い殻を見て、

 

猛烈に腹が立った時、、、

 

 

 

その吸い殻と灰皿に対して、

 

あるいは、吸い殻を散らかした誰かに対して、

 

文句を言って、一日中、嫌な気分になっていることもできる。

 

 

 

 

けれども、

 

「違う選択をすることもできる」。

 

 

 

 

その選択とは、何かといえば、

 

「自分自身が、その吸い殻を掃除して、

 

スッキリした気持ちになること」

 

 

 

 

 

 

これは、ゆるしを実践するってどういうことなのかを考えた時に、

 

とても重要な観点です。

 

 

 

 

 

・・・暖炉に薪をくべながら、そんなふうに

 

大内先生はおっしゃっていたんです。

 

静かなほほえみを浮かべておられましたよね。

 

 

 

 

 

当時、僕は、この言葉を分かったつもりになって聞いていましたが、

 

 

 

 

この言葉の真意が少しずつ、

 

わかって来たような気がします。

 

 

 

 

 

ゆるすということは、

 

自分と、自分が見ている世界を

 

違う見方で見てみること。

 

 

 

 

自分の行動に違いを生み出すこと。

 

 

 

 

 

 

 

それが自分の住む世界を変え、

 

自分がいつか、つくったかもしれない

 

因果の呪縛を超えていく

 

本当の原動力になるんじゃなかろうか?

 

 

 

 

 

大げさかもしれませんが、そんなふうに、今、感じています。

 

 

 

 

 

 

私たちは創造主にも似た、現実創造の力が、

 

本当に与えられているんですね。

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

では、

 

 

あたたかくいちにちをお過ごしくださいますように。

 

今日も命にありがとうございます。

西田普

にしだあまね