愛する魂の冒険者たちへ

 

 

 

 

 

わたしたちは、人とかかわりあいながら

 

日々を暮らしています。

 

 

実は、「幸運」や「豊かさ」や「深い幸福感」といったものは、

 

よくよく観察すると、すべてとは言いませんが

 

「人間関係からやってくる」ことがとても多いです。

 

 

 

なので、人間関係がよくなると、

 

人生がいきなり好転することが多々あります。

 

 

 

 

 

一方で・・・

 

 

 

あらゆる悩みの中でも

 

人間関係の悩みは、大きく、深く、いちばんしんどい、

 

とはよくいわれることです。

 

 

 

じっさい、数十年にわたって

 

苦しみが続くこともあります。

 

 

 

ところが、

 

ちょっとしたきっかけで

 

劇的によくなるのも、

 

また人間関係だったりするんですよね。

 

 

 

この記事ではそのヒントをひとつお届けします。

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

たとえば

 

人はだれかに

 

わかって欲しいのに、わかってもらえない!

 

と感じた時に、非常に苦しむことがあります。

 

 

 

 

 

特に身近な人に対して、わたしたちは

 

「わかって欲しい、この人には」

 

と切実に願ったりします。

 

 

 

それは当然の心の働きかもしれません。



けれども・・・実は

 

理解の深さと、愛の深さは、必ずしも関係がない。

 

 

 


 

 

この考え方に出会った時


ほんとうにそうだなと、ホッとしました。

 

 

 

わかってもらえたら、

 

わかりあえたら、

 

それは本当に素晴らしいことだけれど、

 

 

 

愛の深さと理解の深さは


必ずしも関係ない。

 

 

 

 

なので、別に、理解して欲しいんだあ!と求めて

 

苦しむこともないし、、、

 

 

 

 

まして、

 

だれかに理解してもらうために自分を抑圧することはないわけです。

 

 

 

 

 

(たとえわかりあえなくても、

 

そこに愛は育てられるんだよなあ。。。と)

 

 

 

 

けっきょくなんきょく

 

自分を生きるのが

 

いちばんいいんだと思います。

 

 

 

 

私たちはどんどん上達していきます。

 

すべてはきっとよくなります。




 

時効だと思うから、

 

父母のエピソードを書かせていただくのですが・・・

 


 

 

 

 

 

父と母は、ほぼ60年に及ぶ結婚生活を添い遂げました。

 

ほんとうに尊敬しています。

 

深い愛で結ばれた夫婦でした。

 

(父は一足先に天国へ行きました)

 

 

 

 

 

ふたりは決してずっと順風満帆だったわけではないとは思います。

 



共通する部分もたくさんあったけれど、

 

違うところもけっこうあったんです。


 

 

 

あるとき離婚の危機があり、母がこんなことを言ってたんですね。

 

 

 

「私は花で、パパは石。だからわかりあえないのよ」



本気で言っていた母の様子も、

 

慌てていた父の様子も、

 

 

今となっては、僕にとって

 

ほほえましい思い出で、

 

 

思い出の中の、なつかしい淡い光に溶けています。

 

 

 

 

でも当時は結構ピンチだったんです。僕も出動しましたが、

 

 

 

 

 

けっきょくはふたりで乗り越えて、

 

 

 

 

父の旅立ちのとき、

 

母はこのうえなく優しい表情で

 

父の手を握っていました。

 





父は何度もありがとうと言っていました。

 

 

 

 

 

 


また、僕の両親は、僕に対して

 

いろんなことに理解を示してくれて

 

応援してくれる

 

ありがたい両親でしたが、

 

 

 

西田のスピリチュアルな考え方や世界観に対しては、

 

雑誌編集の頃から、

 

父は、何かを言いたそうでしたし、

 

実際に言ってきたこともありました。

 

 

 

 

だいぶ意見が違ったわけです。

 

 

 

それでも全体としては応援してくれていましたし、愛があった。

 




ちなみに、

 

わかりあえずに離れる人間関係もありますよね。




 

いいわるいではなくて、あると思います。

 

 

 

 

 

 


自分も、

 

被害者や加害者として書くのではなく、

 

分かり合えず苦しんで、

 

離れたことがありました。

 

 

 

 

 

それも、いまの自分を生きるためには

 

必要な選択だったんだろうな、

 

と理解しています。

 

 

 

そしていま、よくよく全体を眺めて見たら、

 

やっぱりそこには愛があったんだなと


わかります。





ということで、

 

 


人間関係では、理解を求めて、苦しまなくていいし・・・

 

 

 

 

自分は自分を生きる選択をして

 

そのうえで、

 

愛が通いあう関係を

 

つくることもできる、

 

 

という話でした。

 

 

 

 


 

いつからでもとりかかれて、

 

いつからでも可能なことだと思います。

 

 

 

 

 

 

何度か載せさせてもらっていますが


ドイツの精神科医、フレデリック・パールズさんの、

 

有名な「ゲシュタルトの祈り」を

 

以下に掲載しておきますね。

 

 

 

 

読むだけで楽な気持ちになれます。

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

「ゲシュタルトの祈り」

 

私は私を生きています。

 

あなたはあなたを生きています。

 

私は、あなたの期待に応えるために生きているわけではありません。

 

あなたも、私の期待に応えるために生きているわけではありません。

 

私は私。あなたはあなた。

 

もし、たまたま、私たちの心が触れ合うことがあったなら、

 

それは素敵なことです。

 

もし触れ合うことがなかったとしても、それはそれで仕方がないことです。

 

わたしとあなたで、私たち。一緒なら、世界も変えていくことができます。

 

 

〜〜〜(ゲシュタルトの祈り)

 

 

 

ちなみに、ここに載せさせていただいたのは、

 

ゲシュタルトの祈りの「さいごの部分」を

 

パールズさんご本人が補ったとされる

 

完全版バージョンです(青文字の部分)。

 

 

 

 

この部分が入っているかどうかで

 

かなり味わいが違いますね。

 

僕は好きです。





明日はいよいよ


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タイミングが合う方とご一緒できますことを


楽しみにしています。






広島から鎌倉へと向かっています。

 

 

 



 

 


 

今日も命にありがとうございます。

西田普

にしだあまね