愛する魂の冒険者たちへ

 

 

今日はめったにないような吉日でして、

 

 

 

 

「一粒万倍日」 

 

「神吉日」 

 

「大明日」 

 

「母倉日」

 

 

 

が重なっている

 

スペシャルな日で

 

「十三夜」

でもあるのです。




十三夜は旧暦9月13日~14日の夜。


「十三夜」は、十五夜に並ぶ名月とされます。

 

十五夜は前回(9月末)の満月ですが

 

十五夜だけでなく十三夜の月も

 

両方とも愛でることで

 

運気がさらに上がるっ!と伝わっています。


 



十三夜は日本で始まった風習で、 


豊かな収穫に感謝しながら、美しい月を愛でるタイミング。

 

 




十五夜は里芋を供えることから「芋名月」、

十三夜は栗や豆を供えることから

「栗名月」「豆名月」とも呼ばれていますが

 

 

わたくし今日は、あいにく栗も豆も手元になかったので、

 

栗のような甘みの「干し芋」と「納豆」(いいのか!?)を

 

捧げようかな!?!?と思います。


 


そして、自分の本質を探っていくことをすると

 

ますます運気が上がることでしょう。

 

(20時からオンラインセミナーもあります。楽しみ!)

 

 

 

西田も今日は、

 

聖典の学びをさせていただいたり

 

瞑想をしたりしています。

 

 

 

 

 

今日は少し、ヨガのことを書きますね。

 

 

 

 

 

わたしたちは「ほんとうの自分」を知って生きるために

 

果てしない旅路を歩んでいる、

 

生かしていただいている、

 

生きている、

 

という面があります。

 

 

 

 

ヨガには5000年以上の歴史があるそうですが

 

わたしたちが

 

「ほんとうの自分」を知って生きるためはどうすればよいか、を

 

実践的に学んでいくための

 

叡智なのでした。

 

 

 

西田はありがたいことに

 

ヨガを、すばらしいお師匠さんたちから学んでいますが、

 

ごくごく控えめに言って

 

ヨガに命を救われた面があります。

 

 

 

 

また、

 

ほんとうの自分(真我)を知って生きる道に

 

今回の人生でも戻れた、という感覚があります。

 

(過去生でやってたみたいですね。顔がインドっぽいとはよく言われますが!)

 

 

 

 

体、心、そして魂にも

 

大いなる救いをもたらす叡智の体系がヨガで、

 

 

 

ヨガのお師匠さんたちからは

 

ヨガには72の門がある、と教わっています。

 

(源はひとつです)

 

 

 

ざっくり主なものを挙げますと

 

以下のようなものがあります。

 

 

自分にぴったりくるもの、あるいは、組み合わせがあるらしいのです。

 

 

 

 

*ハタヨガ

 

ポーズをとるヨガで、

 

体操やストレッチのようなものだと思われることがありますが、

 

ハタヨガと、体操やストレッチはまったくの別もの。

 

とらわれず、ひっかからず、こだわらず、

 

心を無に、空っぽにして生きる生き方の練習を

 

体の面で行うのがハタヨガ。

 

 

 

ちなみにハタとは、陰陽のバランスといったような意味です。

 

ハタヨガは体の内側と体の外側の両方から

 

バランスをとる練習をするのです。

 

 

 

仏教では威儀即仏法という言葉がありますが、

 

姿勢を正しくすることが真理を体得する方法につながると考え、

 

最高にバランスが取れている状態、

 

つまり「禅」の状態を目ざすのがハタヨガといえます。

 

 

西田は太陽礼拝が好きで

 

砂浜でもやったりします。

 

 

太陽礼拝

 

 

 

 

*ラージャヨガ

 

最高に心を整え、

 

心を平和な状態に常に保つ行のことです。

 

瞑想をして、本質を悟ることを目指します。

 

わたしたちは日々ほとんど、外側に意識を向けていて、

 

いつも心が波立つ湖のように荒れています。

 

最高に心が平和な状態を

 

涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)といいますが、

 

ヨガをやっているとしだいに、心が鎮まり、

 

静かな湖のようになっていきます。

 

「頭にくる」ことがへって、

 

心の安定度、


平和度が高まり、

 

感じ方も考え方も深く広くなります。

 

「見ても見えない、

 

聞いても聞こえない、

 

考えても考えられない」状態から脱する、

 

心を整えおちつかせる練習、ともいえます。

 

 

やっているうちに自然と慈愛がますます滲み出たりもします。

 

 

 

 

 

 

*バクティヨガ

 

バクティヨガとは

 

神様を信愛し、エゴを放棄するヨガ。

 

エゴつまり、われよしの自我を放棄し、

 

自分のためだけの心の放棄をして、

 

「自己放下」します。

 

放下とは、持っている状態に見えるけど、

 

実際は持っていない状態のことです。

 

おまかせの境地、サレンダー、執着の手放し、

 

といった言い方もできます。

 

そうした無の状態になることは、簡単ではないですが、

 

そのためにヨガではバクティの練習をします。

 

私たちの心の中には

 

放下の邪魔をするものが存在するんですよね。

 

それは、エゴや、

 

自分勝手な好き嫌い、嫉妬、優劣をつけたい心、

 

何かへの執着からくるのですが、

 

それは他ならぬ自分をもっとも束縛し、

 

自分を不自由にしています。

 

 

バクティヨガは神様(宇宙)を愛し、

 

宇宙が与えてくださったすべてを信頼し、

 

縛られていない状態を体得します。

 

たとえば、

 

得しても感謝し、損しても感謝し、、、

 

 

するとしだいに、心が、自分が、自由化していきます。

 

 

 

 

*カルマヨガ

 

自分の仕事や日常の活動すべてを

 

自分を高める行として、

 

日々の生活を通じて解脱することを目指すヨガです。

 

結果にこだわらず、

 

目の前にある自分の行為に最善を尽くし、

 

神様に捧げさせていただく気持ちで

 

他に奉仕していきます。

 

カルマヨガを奉仕ヨガと呼ぶこともあります。

 

自分の行為に光をいれていく感じです。

 

 

無条件の奉仕と決めて行うので

 

途中、苦しいことはあったとしても、

 

不平不満や愚痴が募ってはいきません。

 

やればやるほど運がよくなります。

 

 

 

 

 

*ジュニャーナヨガ

 

智慧のヨガがジュニャーナヨガです。

 

自分の本質は小さな個我ではなく、

 

真我すなわちアートマンであり、

 

アートマンは

 

宇宙の原理ブラフマンとまったく同一であることを

 

悟るヨガです。

 

自分の本質を知らないことが無知の状態であり、

 

無知の状態では

 

わたしたちは思い込み・主観で苦しみますが、

 

正しく知って正しく見ることができるようになると

 

苦しみから解放されていきます。

 

私はだれか? ということを突き詰めて思索したり

 

聖典を学んで実践したりします。

 

 

 

 

 

 

・・・というのが、西田が教わってきたことの

 

ざっくりした説明です。

 

 

興味を感じられたヨガがありましたでしょうか?

 

 

もしあったなら、あなたもヨガ仲間です笑

 

 

 

ヨガは創造の源からもたらされたと考えられています。

 

源はひとつなので、どこから入っても

 

源へ帰還します。

 

 

 

 

わたしたちだれもが、

 

生活の中で自分なりに活かすことができるのが本来のヨガ。

 

 

からだが硬い、柔らかい、といったこととは

 

関係なかったりするのです。

 

 

 

ヨガのこと、また書かせていただきますね。

 

 

 

 

海辺で瞑想(撮影:田宮さん)

 

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今日も命にありがとうございます。

西田普

にしだあまね