愛する魂の冒険者たちへ

 

 

 

 

 

今回の新月はとても大きなターニングポイントで、

 

 

 

 

ここから私たちはおそらく

 

本来の自分、

 

つまり

 

「真我」(しんが)を生きていくことが

 

ますますできるようになるようです。

 

 

 

「真我」とはヨーガの世界では

 

「アートマン」という呼び方をしたり

 

「プルシャ」と呼んだりします。

 

自分の本当の心、真心、ともいえるでしょう。


 

 

 

 

真我に対して、

 

小さな自分の自我のことを

 

仏教では

 

小我と呼んだりもします。

 

 

 

 

ある賢者は次のように述べています。

 

 

 

 

「人は普通、

 

自分の体、

 

自分の感情、

 

自分の意欲といったものを

 

自分と思っています。

 

これを仏教では小我といいます。

 

ごく小さな自分という意味です。

 

仏教の修行法にはいろいろありますが、

 

すべて小我の迷いを離れて、

 

真我を自分だと悟るためにする、といえます」

 

 

 

 

わたしたちは

 

小我の自分の、

 

迷いの体験から学び

 

真我を自覚することが必ずできるようです。

 

 

 

 

 

煩悩即菩提という言葉がありますが

 

 

 

煩悩、悩み、苦しみがあるからこそ

 

迷いからのご卒業に向かうこともできる、、、

 

 

 

これはめちゃ深い仕組みだなあと思うのです。

 

 

 

 

ある世界的な聖者の先生は、

 

僕が手術を受ける前に

 

次のようなメッセージをくださいました。

 

 

 

「体の痛みは、

 

あなたではありません。

 

すべて、体が生きようとしている姿です。

 

感謝です」

 

 

 

これを聞いた時はほんとうにハッとしましたよね。

 

 

 

 

そう思っただけで、

 

「痛みと自分がべチャッとくっついているような状態」

 

ではなくなって、

 

実際に、楽になりました。

 

術後の激痛から、痛みは消えないままでしたが

 

救われました。

 

 

 

 

 

「体の痛み」

 

という部分を

 

たとえば

 

悩み

 

苦しみ

 

悲しみ

 

不安

 

怒り

 

といった言葉に置き換えても成り立つ気がします。

 

 

 

 

「悩みは、あなたではありません。

 

すべて、体が生きようとしている姿です。

 

感謝です」

 

 

 

 

「不安は、あなたではありません。

 

すべて、体が生きようとしている姿です。

 

感謝です」

 

といった具合に。

 

 

 

 

 

確かにそうだよね、、、

 

 

 

痛みは自分ではない。

 

悩みも、不安も、

 

体さんが生きようとしている姿なんだ、、、

 

 

 

 

 

では「それに気づいている自分」は誰なのでしょうか?

 

 

 

 

自分は、痛みではない。

 

体さんでもない。

 

自分は、悩みでも不安でもない。

 

心でもない。

 

 

 

気づいている自分は誰なのでしょうか?

 

 

 

 

客観的に、痛みも、体も、心も観察できる存在、、、

 

観察している自分、

 

それは誰ですか?

 

誰なんでしゅか〜〜っ!?

 

 

 

 

・・・。

 

 

 

「自分は誰か」

 

を徹底的に問い続けることは

 

悟りに至る道になっているらしいのです。

 

 

 

 

 

 

自我と真我の差が取れる、

 

自分と他者の差も取れる(自他の違いを比較し苦しまなくなる)、

 

 

そうやって

 

差を取るのがさとりなんじゃよ、、、(だじゃれか!)

 

 

 

 

 

その状態では 

 

他の痛みや悲しみを

 

真に自分のものとして感じ

 

思いやれるようになる、とも教わりました。

 

 

 

 

 

 


 

言い方を変えると

 

理解を持って愛することができるようになる、

 

と。

 

 

理解を持って愛する、

 

これが本当の思いやりで、、、

 

 

 

相手と共通の部分がなくても

 

理解することはできます。

 

 

 

状況が違っても、

 

人生経験が違っても、

 

住む国や時代が違っても、

 

わたしたちは理解して

 

思いやることができます。

 

 

 

 

 

自分の傷の部分で同情共感するのは

 

実は本当の思いやりとはいえず、、、

 

 


エゴの波動のままで

 

相手を思いやるのではなく、

 

 

本来の波動から

 

相手を理解し、

 

思いやることができる、というのです。

 

 

 

 

すごいよね、人間て。

 

 

 

 

 

ある賢者から教わって、感銘を受けた方法があります。

 

 

 

それは

 

「誰かが話している

 

人生のいちばんの悲しみや痛みを、

 

いっさいの判断をさしはさまずに

 

(アドバイスしようとしたりせずに)

 

ただただ、そのまま耳を傾ける」

 

という方法です。

 

 

 

目を見て耳を傾けハートを開きます。

 

 

 

すると話している側にも

 

聞いている側にも

 

不思議なほどの感銘が押し寄せてくる瞬間があるのです。

 

 

 

 

ああ〜人間てそうなのか、、、

 

というようなびっくり感、

 

神聖な時間を体験しているような、、、

 

そのように感じたのを覚えています。

 

 

 

 

ここから年末に向けて、

 

どこかで機会をつかまえて

 

友人、家族、パートナーと試しにやってみると

 

驚くべき体験ができるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

いずれにしても、

 

ここからますます私たちは

 

本当の自分を生きられるようになっていくことでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

次のような言霊を活用しても良さそうです。

 

「真我がますます現れます。ありがとうございます」

 

 

 

それでは明日も快適な朝をおむかえくださいね。

 

 

今日も命にありがとうございます。

西田普

にしだあまね